各世代で競技人口が減少傾向と言われる野球を盛り上げるため、独自のスタイルで野球好きを一人でも増やしたいと、南城市の仲本裕樹さん(39)が奮闘している。監督やコーチ、顧問としてではなく、行っているのはバッティングセンターでのスイングスピード計測やミニコミ誌の作成、ブログなどでの情報発信。かつては高校球児だった仲本さんの小中学生らを応援し続ける取り組みは選手だけなく、保護者ら関係者にも励みになるなどとして理解を広げている。 (嘉陽拓也)
仲本さんは平日は名護市、浦添市、那覇市、南風原町など日替わりで県内のバッティングセンターを巡る。毎週金曜日は北谷スポーツセンター。スピードガンを持つ仲本さんの前に、あげなジャイアンツ、中城ウインズ、浜川キッズ、西原ピース、安慶田ライオンズの児童らが列をつくる。友達の前で、気合が入りすぎる児童に「急がずにね」「力を入れすぎだよ」と助言し、乗ってきたところで「はい、次は新記録を出そう」と声を掛ける。子どもたちの歓声や笑顔が仲本さんを包む。
終われば、結果はチケットに記入して渡す。このデータは毎月、小1~中3までの学年別ランキングとしてまとめ、各バッティングセンターに張り出している。
「競争が目的じゃないけど、自分のチームの4番よりすごい選手が他にいると分かれば、刺激になると思う」。
スイングスピードの計測は十数年前から続けてきた。毎月何百人というペースで計測してきた中には、現在プロ野球で活躍している横浜DeNAの嶺井博希捕手や神里和毅外野手、オリックスの大城滉二内野手らも含まれる。
「中学生の最高記録は、今、沖縄尚学の中軸を担う知念大成君の160キロです。でも、先日計った、健大高崎高校に進学するという大柄な県外の中学生は165キロでした」と、豊富なデータを基にした野球談義は尽きない。
自身の競技人生は予期せぬ形で終えざるを得なかった。大里北小で野球を始め、大里中、知念高校では投手だった。練習後もジムで筋トレを欠かさないほど熱中したが、2年の始業式前日からネフローゼ症候群という腎臓の病により長期入院を余儀なくされ、グラウンドを遠ざかった。
浪人後に進んだ西日本工業大で数学の教員免許を取得し、中学の臨時任用として母校の大里中の教壇に立ち、野球部の指導にも関わった。「日ごとに成長していく子どもたちのために、当時は教材研究より練習メニューばかり考えていた」と、笑顔で振り返る。高嶺中では、後に巨人入りする宮國椋丞投手も指導した。
教員採用試験に合格せず、南風原町のバッティングセンター「アミュージアム」で働いたことが転機となった。業務時間外に南部の学童や中学野球の大会、記録会を取材し、同センターにミニコミ誌を張り出した。口コミで広まり、マスコミにも取り上げられ、南部域で名前を覚えてもらえるようになった。臨時教員時代の知人や仲間からは「戻って来い」と言われたが、取材現場で交流する喜びが「自分のやり方で野球を応援する環境をつくりたい」と、現在のスタイルを形作っていった。
「正直、収入はあんまり……」。賛同してくれる旅行会社「タピックス」や沖縄銀行にスポンサーになってもらい、スポーツ店や県内5カ所のバッティングセンター、個人からの支援で続ける。地道な活動のおかげで、本年度から県野球連盟の少年学童副部長に就任した。個人では女子野球の沖縄ガールズの代表も務め、女子野球の発展にも心を砕く。
それでも、拠点はバッティングセンターだ。「子どもらにとって一番大事なのは監督やコーチの指導」。助言はあまりしないが「体が成長すればフォームも変わり、スランプもくるかもしれない。その時、これまでもらったいろんな意見が糸口になる」と述べ、多くの児童を見てきた経験を基に、脇役的に支え続ける。子どもたちを直接的に勝利へ導くというよりも、野球の楽しさを失わず、情熱を高めるための一助を担う。
「いつかみんなの成長記録をしっかりとまとめたいですね」と語る後方から声が掛かる。「仲本さん、この前の大会の写真ありがとうね~」。保護者からの感謝の言葉に笑顔で応える仲本さんの活動は、県内全域の野球っ子に広く浸透し続けている。