翁長雄志知事の遺品を手に取る妻樹子さん=6日、那覇市 画像を見る

 

翁長雄志知事の死去から8日で1カ月を迎える。政治生活を二人三脚で支えてきた妻、樹子(みきこ)さん(62)は、那覇市長時代に胃がんを克服した翁長氏が、今度も病魔に打ち勝つと希望を捨てなかった。しかし、壮絶な闘病を世間に隠してまで公約を貫こうとする夫の姿に、政治家の妻としての思いは揺れ動いた。埋め立て承認撤回が目前までたどり着き、樹(みき)子さんは「後の命は要りませんから、撤回まで人前で真っすぐ立てるようにしてください」と主治医にすがっていた。

 

翁長氏の体に変調が現れたのは、今年に入って体重が60キロ台まで落ち込んだことだった。樹子さんは「胃がんを患った際に『80キロを割ったのは中学校以来だ』と言っていたくらい元々は大きな人だった。痩せて見えないようにと、実は下着を3枚重ねて着ていた」と明かす。

 

4月に検査入院で膵臓(すいぞう)がんが判明した。病部を切除する手術を受けたが、1週間後に心臓の不調を来した。検査の結果、がん細胞が飛び散り、肝臓まで転移していることが分かった。さまざまな抗がん剤を試したがどれも効果が出ず、副作用にも苦しんだ。口内炎がひどくなり食事も進まず、水を飲むことさえ困難になっていった。

 

翁長氏は7月27日に記者会見で埋め立て承認撤回の方針を表明した。だが会見の前夜には、知事公舎に帰るなり、玄関に置いてあるいすに3分ほど座り込んだ。立ち上がってもすぐに台所やリビングのいすで休んでは息を整えた。玄関から着替えのため寝室に入るまで20分かかるほど、体力は衰えていた。

 

会見の日の朝、「記者の質問に答えることができるだろうか」と弱音を吐いた翁長氏を、樹子さんは「大丈夫よ。できるでしょ」と送り出した。ただ「撤回という重大な決断をするのに、判断能力がないと思われてしまうわけにいかない。不安だったと思う」と夫の心中を推し量る。

 

会見を終えて帰宅した翁長氏が「30分くらい自分の言葉で話ができた。よく保てた」とほっとした表情で報告するのを聞き、樹子さんは「神様ありがとう」と心の中で叫んだ。

 

だが、会見から3日後の7月30日、病状が進み翁長氏は再入院する。翁長氏はがんの発覚後、死が迫ると感情を制御できず家族に当たってしまうことを心配していた。「そうなってもそれは本当のお父さんじゃないからね」と子どもたちに語っていたという。樹子さんは「治療の選択肢はどんどん狭まっていったが、最期まで死の恐怖に駆られることはなかった。最期までいつも通りのお父さんだった」と目頭を押さえた。

 

保守政治家として「政治は妥協の芸術」を信条とした翁長氏だったが、辺野古新基地建設阻止だけは譲らなかった。「樹子、ウチナーンチュはみんな分かっているんだよ。生活や立場があるけれど、未来永劫(えいごう)、沖縄が今のままでいいと思っている県民は一人もいないんだよ」という翁長氏の言葉が忘れられない。樹子さんは「県民の思いが同じであれば、いつまでも基地問題を挟んで対立しているのは政治の責任でしかない」と訴える。

 

承認を撤回して海上工事を止めれば、県の職員まで損害賠償が及ぶと国がちらつかせてきたことを翁長氏は知事として気に病んでいた。樹子さんは記者に対し「国が一般職員まで脅すなんて不条理が本当にあるのでしょうか。それにもかかわらず、そう出てくると言うならば、その時こそペンの出番ですよ」と言葉を掛けた。

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