琉球大学名誉教授 上間清さん 画像を見る

 

あなたは今日、どこへ行って何をしますか? 徒歩ですか? 車ですか? バスですか? もしかしたらモノレールで空港に行って飛行機に乗るかもしれませんね。

 

誰も避けて通れない「交通」。そんな沖縄の交通の未来はどうあるべきなのでしょう。

 

琉球大学名誉教授で交通分野を専門とする上間清さんをお招きして、一緒に考えてみましょう。

 

こんにちは上間さん、よろしくお願いします。沖縄の交通の未来を考える前に、交通に関するどのような歴史や体験があったのかを知りたいです。

 

県の交通に今一番必要なのは「定時性」

「私が中学校を卒業した1950年あたりに、(地元である)本部半島に大型のバスが導入されたんです。とにかく珍しくて、どこに行くわけでもなくバスに乗って遊んでいました。沖縄にはバス会社がいろいろありました。客馬車もありましたね。本部の具志堅から渡久地の市場まで荷物を運ぶのに使う人もいました。道も今みたいにどこでも舗装されている訳ではありません。田舎では車が通ると砂埃が巻き上がって前が見えなくなりました。大変だったなぁ」

 

復帰前後でもいろいろ変わったんですか?

 

「(日本復帰前の)60年代ぐらいから本土の交通法制に倣って、米国民政府下の琉球政府立法院でも道路交通関係の法制が整備されてきました。米軍が使用する幹線道路から整備されて。今の国道58号や329号、330号などは当時『軍道』と呼ばれていました。米軍が管理する道は『軍道』、琉球政府が管理する道は『政府道』。その時代を知る私の世代は『国道58号』と言うよりも『軍道1号』と言う方が分かりやすい、なんてこともあります」

 

戦後沖縄の2大交通革命 ~7・30と都市モノレール~

「沖縄の『交通革命』と言っても過言ではないことが2つあります。1つは通称『7・30(ナナサンマル)』。1978年7月30日午前6時半に車の右側通行方式が左側通行方式になったことです。もう1つは都市モノレールの運行開始です。両方とも戦後沖縄にとって『革命』と言えるかと思います」

 

都市モノレールの登場は、戦後沖縄では初となる軌道交通となりましたね。

 

「戦前は沖縄県営鉄道(愛称ケービン)が全長およそ50キロもありました。那覇駅から嘉手納線、与那原線、糸満線と3ルートがあって。(戦争で破壊された)この50キロが戻らない限り『軌道はまだ日本復帰してない』んです。今はモノレールは長さが約13キロで、それに供用間近の浦添ルート約4キロ分が延長されます。50キロにはまだまだです。当初、沖縄都市モノレールの計画は那覇空港から西原町までをつないでいました。それが現状のニーズや資金との兼ね合いで、一旦首里駅までとなってしまいました。首里駅には以前、駅を貫いて軌道が北側に突き出していました。あれが『モノレールを延長したい』という県の思いの象徴でもありました」

 

モノレールのみならず、いわゆる「沖縄鉄軌道」の構想計画も進んでいますね。

 

「今日の公共交通で一番必要とされているのは『定時性』です。県民にとって『時間を計算できる生活』というのは大切ですし、観光訪問者にとっても『定時性』はその行動の質の向上につながります」

 

「ただ、大切なのは定時性のあるこれらの鉄道を軸にして、さらに別の交通機関で沿線以外の場所にもしっかりとアクセスできる『フィーダー交通』をうまく機能させることです。スムーズな乗り換え(結節)も上手くいっている交通体系です。さらに、バス停もしっかり整備して、雨風や暑さをしのげる空間が必要です。安全に運行させることももちろん大切です。ハードとソフト両面での改善が求められます」

 

車から公共交通への転換が課題

 

交通整備は県民の幸せにつながる

「交通体系が整備されている環境に住めるということは、長い目で見ればもう、莫大な便益を享受できます。例えば、那覇市中心部で用事があるとして、モノレール駅の近くに住んでいる人は往復5~600円で用が足せます。それが、車を使わないといけない場合だと、運転代行やタクシー代、駐車料金などで5~6000円もかかるかもしれません。私は時にゴルフをプレーしますが、ゴルフ場までタクシーで行くとなると、往復で1万円…。どんな場所でも駅からバスで連結されているか、タクシーでワンメーターないしツーメーター程度で行ける範囲内にあるというのが理想だと思います」

 

やはり誰もがいつでもどこでも安価で行けるような交通の「受け皿」の整備が必要ですよね。

 

「交通渋滞が一番の問題なんです。沖縄は大都市並みの渋滞が慢性的に発生しています。毎日ラッシュアワーで渋滞しては時間的にも経済的にもロスが大きすぎます。ラッシュアワー以外の時間帯の渋滞はかなり改善されましたが」

 

「県は年間1200万人の観光客数を目標にしていますが、例えば今、那覇に外国からのクルーズ船が来て一気に4千人以上もの人々が降りてくる時に、県内のバス会社から観光客が移動するためのバスを集めています。県民に『公共交通を使いましょう』とキャンペーンが展開されていますが、公共交通が不便であれば効果は限定的です。『渋滞を緩和するため』『地球環境を守るため』ではなかなか人は車を手放せません。車がないと生活できない人はたくさんいますから。『車から公共交通への転換』を可能にすると、交通渋滞も緩和しますし、車の運転に伴う事故の心配や経済的な負担も減ります。そのための受け皿となる公共交通が必要です」

 

未来へ向けて~自動運転と空の交通~

最近は沖縄県内発着の格安航空で「気軽な空の旅」が増えてきています。

 

「かつては、情報化社会が進展していくと『行かなくても情報が手に入る』との理由から『人々の移動量が減る』という見方もあったんです。ところが実際は逆な部分もありました。情報が豊かになり、実際に行って見たい所や会いたい人ができたり、面白いイベントが分かったりするようになった。このように、社会のニーズが交通のニーズを作り上げていくんです。交通はあくまで手段で、目的とはなりません。地域の経済、社会、人口変化などを踏まえ、先のニーズをイメージしながら交通体系は作られるべきです」

 

車の自動運転技術も進歩しつつありますが、これが普及していくとどうなりますかね。

 

「完全自動化は相当な投資が必要です。車そのもののみならず、電波送受信のための道路や信号といった周辺環境や法の整備など、自動化の実現までにはいくつもの段階があります。”完全“自動化っていうのは、ボタン押したら目的地まで行くっていうことですよね。しかしねぇ…そんな車乗りたいですか?(笑) 私は趣味が長距離ドライブ旅行なんですよ(笑) 。日本の高速道路は全部走りました。沖縄だったら宜野座辺りの東海岸とか、恩納岳の連山見ながらなんてのは、いいですね。橋がある場所も好きです」

 

「空飛ぶ車」なんてのは現実味ありますか?

 

「あるでしょうね。ドローンが貨物運ぶのはやってますよね。これがひょっとすると人も運ぶようになるかもしれません。だけど、これをコントロールする法律や環境作りは大変だと思います。どのようなルートを取って、どこで地上に降りるか。市街地の上を適当に飛ばす訳にはいかないですからね。技術的には可能でしょうけど、安全性を守って運用するというのはこれからでしょう」

 

本日はどうもありがとうございました。

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