ヘリ墜落時の職員らにインタビューし映像をまとめる照屋夏希さん(手前)と浦崎直之さん(右)、仲西亜文さん=宜野湾市の沖縄国際大学 画像を見る

 

「ヘリ墜落時はどこにいて何をしていましたか。米軍の対応はどうでしたか」

 

米軍ヘリ墜落で損壊し、その後建て替えられた沖縄国際大学の本館6階会議室。産業情報学科の大山健治講師(48)のゼミ生がビデオカメラで録画しながら、事故時に旧本館にいた大学職員や教員の話を聞いている。

 

インタビューを受けたある職員は事故発生時、旧本館2階で調べ物をしていたと証言した。午前中にいた1階会計課の窓はヘリ激突の衝撃で破壊された。「ぞっとした。死と隣り合わせで恐怖を後で感じた」と職員は声を震わせた。

 

インタビューに取り組むのは産業情報学科4年の照屋夏希さん(22)、3年の浦崎直之さん(21)、仲西亜文(あもん)さん(20)の3人だ。職員や教員7人から聞き取った映像を編集。大学図書館で13日から公開し、授業でも使えるようにする。

 

映像記録は「次世代に伝える記録を残したい」との大学側の思いから始まった。当時から現在も大学にいる職員と教員は、全職員の約5割にとどまる。事故の証言を映像に残すのは初めての取り組みだ。

 

3人は当時5~7歳で、事故は親からの話やニュースで知った。ある程度事故について自分で調べたり、ニュースで聞いたりした。だが当時の職員や教員から事故の状況や対応に追われた大学側の内情を直接聞くと、事故の捉え方は以前と異なるようだった。

 

「大学内で墜落したのに、職員や警察が入れない理不尽さに改めて気付かされた」と振り返る照屋さん。当初はあまり関心がなかったが、インタビューを通して強い関心を抱くようになった。新入生の中には事故当時は、3歳だった学生もおり、「事故自体を知らない人は多いと思う」と受けとめている。

 

仲西さんは「大学側の話を聞くことは大きな経験になった」と話す。浦崎さんは「記録を残すことに携われているのはやりがいがある」と語る。大山講師は「記録を残す貴重な機会を学生と共有できた。次世代につなげる意味のある取り組みだ」と強調した。

 

3人は、危険な普天間飛行場の辺野古移設は問題が長期化・複雑化し、同年代が関心を持ちにくくなっていると感じる。それだけに「事故は絶対に風化させてはいけない。次世代に伝え、つなげていきたい」と継承の大切さを実感している。
(金良孝矢)

 

◇     ◇

 

沖縄国際大学にCH53Dヘリコプターが墜落した事故から13日で15年となる。普天間飛行場所属機による墜落や落下物などのトラブルは後を絶たず、危険性は除去されていない。宜野湾市民らの我慢が限界に達する中、墜落の記憶が継承されていない懸念もある。市民や大学関係者の思いを紹介する。

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