対馬丸の犠牲者の遺影を眺める生存者の大嶺正次郎さん=10日午後、那覇市 画像を見る

終戦翌年の1946年夏、疎開先の宮崎県から引き揚げると、那覇市内の民家を訪ねた。一緒に対馬丸に乗った同級生の死を伝えるためだった。出迎えた母親はにらみつけてこう言った。「お前だけ生きて、うちの子は死んだというのか」。玄関先の石を何度も何度も投げつけられた。大嶺正次郎さん(88)=那覇市=は当時のことを鮮明に覚えている。同級生の母親からは乗船前に「兄弟のようにしてくれ。万...

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