平和之塔にある戦没者の刻銘板から、亡くなった叔父の名前を探す宮平優さん=26日、座間味村座間味 画像を見る

 

【沖縄・座間味】米軍が座間味島を含む慶良間諸島に上陸し、地上戦が始まった1945年3月26日から75年を迎えた。26日、座間味村の平和之塔には遺族や関係者が集まり、戦争で命を落とした家族や友人らを思い、静かに手を合わせた。

 

娘と孫を連れて参拝に訪れた宮平優さん(66)は、平和之塔にある戦没者の刻銘板から叔父の名前を探した。母方の叔父にあたる宮平クニオさん=当時10歳前後=は、家族で自決しようとした父親にカミソリで首を切られ、亡くなった。父親は妻と、宮平さんの母親を含む娘2人の首も切り付け、最後は自刃した。戦後も宮平さんの母と祖母の首には、カミソリで切られた傷痕が残った。

 

「母は戦争のときの出来事を話したがらなかった。それでも話してくれたことをしっかり語り継ぎ、大切に生きていくようにと孫たちに伝えたい」と話した。

 

母親が「集団自決」(強制集団死)のあった「大和馬の整備中隊壕」にいた宮村肇さん(66)は「悲惨な戦争を伝えていくためにも、参拝するだけでなく、現存する壕の整備や所在地マップを作るなどの作業も必要だ。平和教育の充実が大切だ」と話した。

 

座間味村では27日に村主催慰霊祭式典を開く予定だったが、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、自主参拝となった。

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