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「あのバズってるツイート見た?」。若者の間で日常的に語られる「バズる」というワード。「短期的に爆発的に話題が広がり、注目を集めること」という意味だ。誰にでも広く間口が開かれているSNSは、工夫次第で一夜にしてスターに躍り出るチャンスが眠っている。
そんな中、沖縄発の新たなSNSスターが生まれ、注目を集めている。彼の名はDELIVA(デリバ)。ゲイであることを公言し、トレードマークのピンヒールを履いて至るところで笑いを届けたかと思いきや、キャンバスに向かって圧倒的な画力で絵を描きあげるアーティストの一面も持つ。自らのことを「一貫性のない一貫性」と語り、笑顔と自信を絶やさない彼に、話を聞いた。

 

◇聞き手 野添侑麻(琉球新報Style編集部)

 

これぞマルチタレント!?

 

―自己紹介をお願いします。

 

DELIVAです。ファッションデザイナー兼スタイリスト兼絵描き兼TikTokerをやっている39歳、乙女座のゲイです♪

 

―多岐にわたる経歴の持ち主ですが、今までの経歴を詳しく教えてください。

 

埼玉の高校を卒業後、ファッションの専門学校へ進学し、在学中から4年間ショップ店員をやっていました。その後は「絵が上手い」っていう理由で、別会社のデザイナーにヘッドハンティングされたのですが、絵が描けるだけでお洋服のデザイン経験が全くなく、何もできず1年でクビになり…(笑)。その後またショップ店員として5年間働いた後、GUでウィメンズウェアのデザイナーとして経験を積み、沖縄へ移住しました。

 

―沖縄へ移住するきっかけは何だったんですか?

 

きっかけは高校時代の仲間からの移住の誘いでした。彼はカメラマン、私はファッション業と仕事柄通じるところがあったので、「いつか一緒に仕事をやりたいね~」なんて話していたんです。その後、お互い仕事が忙しくなり疎遠になっちゃって、10年くらい会えていなかったんですよ。ある日久しぶりに電話したら話が盛り上がっちゃって、思い出話の中でその話題を出したら、「今でも一緒にやりたいと思っているよ」って言われたんですよ。

 

それで、10年も会っていないので近況報告も兼ねて飯でも行こうって話になって、「どこで飲む?」って言ったら「カデナ」って言われたんです。彼の行きつけの居酒屋の名前かと思って聞き直したら、どうやら沖縄県嘉手納町だと(笑)。彼は東京にいるもんだと思っていたら、沖縄に移住していたんですよ。そのまま私も移住を勧められて、思い立った私は翌日辞表を提出し、片道切符で沖縄に来ました。旅行でも来た事がなかったし、沖縄と言えばアクターズスクールと国際通りしかイメージがなかったのに、住むことになるなんて不思議ですよね。今年で移住9年目になります。

 

人から人へ。ご縁で転身生活!

 

―移住後、すぐに仲間と一緒に事業を始めたんですか?

 

沖縄のことが何も分からなかったので、最初の半年間は何を始めるかリサーチしていました。沖縄はリゾートブライダルの需要が高いというのが分かり、私たちもカメラマンとスタイリストというスキルを活かして、前撮りなどの記念写真の撮影に特化した事業を行うことに決めたんです。ところがブライダル業界はリゾートホテルなどの大きな企業が率先していて、前撮りから挙式まで含めたプランで売っているところが多く、私たちが入り込める隙間がなかったんです。

 

なので、ブライダルは諦めてフォトスタジオをすることになりました。ところが2人とも営業が大嫌いで、何も宣伝しなかった(笑)。知り合いのツテでお仕事をもらっていたんですが、そのツテもすぐに使い果たしちゃって、資金が底をついてしまい「お給料が払えないから」と半ばクビ宣言をされたんですよ。仕方ないな~と思って困っているところ、急にテレビ局から「スタイリストを募集している」っていう連絡がきたんです。飛びつくように面接をしにテレビ局へ向かいました。

 

面接のすぐ翌日に電話を頂き、「明日また来てくれ」って言われたんです。来てって言われたからには決まっただろうと思っていったら、番組のセットが組まれているスタジオに通され、そのまま撮影が始まったんですよ!何やら3人の司会で進行する番組で、そのうち1人はファッションに詳しいゲイタレントを起用する予定だったらしんですが、決まっていた方が辞退したらしく、そのままスタイリストで入る予定だった芸能活動の経験ゼロの私が抜擢されることになったんです(笑)。それまで表舞台に出たこともなかったし、ずっと裏方の仕事だったのでびっくりしましたね。

 

―今まで芸能活動の経験はなかった中、引き受けようと思ったのは何故ですか?

 

表舞台に立つ仕事は、チャンスがあればやってみたいと思っていたけど、そのチャンスのために自分から動こうっていう気はなかった。そんな中、チャンスさんが向こうから歩いて来てくれました(笑)。番組は1年で終わっちゃったけど、番組をきっかけに自分のメインフィールドであるファッション分野の方たちとの繋がりが深くなりました。番組のメインスポンサーがリウボウさんで、彼らが企画したファッションイベントにも参加させていただきました。幸運に恵まれすぎて怖いくらい!事故に遭って運が逃げていかないように、歩く時も道の端っこ歩いています(笑)。番組終了後は宜野湾市にあるLEQUIO(レキオ)っていうアパレルブランドから、デザイナーのオファーを頂いてデザイナーに転身しました。

 

―LEQUIOさんといえば、琉球藍染など沖縄ならではのセンスが光るブランド。そこでデザインを手がけるにあたって、沖縄古来のデザインの勉強などはされたのですか?

 

特にしていないですね。何故なら沖縄には伝統的な服作りを知り尽くしているデザイナーの方はたくさんいらっしゃると思ったので、私は東京でファッションに従事してきた経験を活かし、最先端のトレンドをいち早く沖縄で普及させる橋渡しの役割になることを意識していました。お洋服の形は私が作り、職人気質のLEQUIO代表の嘉数くんが染織技法を持って沖縄流に落とし込む。LEQUIOという媒体を使って、このお店を沖縄のファッショントレンドの中心にするという野望を持って動いていました。

 

―起業からタレント、そしてデザイナーへの転身と、沖縄に移り住んでからの数年でものすごく濃い時間を過ごしていますね。

 

この数年間だけで、3人分のくらいの人生を過ごしている自信があります(笑)。私、絵を描くことも大好きなので、去年はアートをメインに活動していて、ウォールアートやデザインを中心にやっていました。そして今年は何故かSNSをメインにしたTikTokerになったと。ほんと、私の仕事って固定化されないですよね~(笑)。

 

運命?の相棒と共にSNSの世界へ

 

―なぜTikTokを始めようと思ったんですか?

 

元々SNSには興味がなかったんですよ。頼まれて人前に出るのは好きだけど、自ら発信するのは好きじゃなかった。そんな中、琉球イノベーションプログラムという経営者やクリエイターの育成を目指す事業で出会ったベス男くんと、意気投合したのがきっかけで始めることにしたんです。参加者が自分の考えているプランを発表した後に、面白そうだと思った人を発表する時間があって、その時にお互いのプランが面白そうと思ったみたいで、まさに両想いだったんですよ~!相思相愛~!(笑)

 

ベス男くんは沖縄からインフルエンサーを発信する事業を手がけたいという目標があり、その一環で私をメインにしたチャンネルを手がけてもらうことになったという流れです。一か月前にTikTok、Twitter、YouTubeにInstagramという主要SNSチャンネルを開設して、今では総再生回数は982万回再生。ありがたいことにたくさんの方に見ていただいております。(2020年4月20日現在)
たくさん反応も頂いていて、フォロワーの3分の1がLGBTの方で、中には崇拝してくれる方もいます(笑)。あとはTikTok自体のメインユーザー層である10代の学生の子たちからも「動画見て元気もらいました」っていうメッセージもよく頂いていて、それも嬉しいですね。

 

―本当に話題になっていますよね。僕のタイムライン上にもDELIVAさんの動画がよく回ってきます。プロデューサーのベス男さんにもお聞きしたいことがあります。DELIVAさんの動画にはピンヒールを履いて坂道を全力で走るなど、思わずクスっと笑えるような投稿が多いですが、なぜこのようなスタイルを取ろうと思ったのでしょうか。

 

べ:『今やSNSにはいろんなインフルエンサーがいて、新しく入る隙間がないほど飽和状態なんです。そこでDELIVAさんが輝ける場所を探す作業から始めたんですが、彼がいつも履いているピンヒールに着目しました。ゲイのインフルエンサーの方もたくさんいらっしゃるんですが、ピンヒールを売りにしている人はいなかった。DELIVAさんは足のサイズも24センチと小さく自然にヒールを履けて歩いているので、多少大きな動きも出来るなと考えました。そこでピンヒールを履いて全力で走ったり踊ったりしたら面白いと思い提案して、一本目の全力で坂を走る動画を出したら期待通りバズりました。またDELIVAさんはおしゃれで脚が綺麗なので、ピンヒール姿が映えるんですよ。誰でもおしゃれのためにピンヒールは履いていいというメッセージ性と、底抜けに明るい彼のキャラクターを活かして、元気がもらえるような動画を作るように心がけています』

 

https://www.youtube.com/watch?v=33HNeZHKFJ8 

 

デ:この脚は完全に遺伝なので、両親には感謝していますね。自分の脚が綺麗だと気づいたのも沖縄に来てからなんです。知り合いのカメラマンに「トランスジェンダー」をテーマにモデル撮影をお願いされた時に、必要だからと言われて脚の毛を脱毛したんですが、そこで綺麗なことに気づいた(笑)。「ピンヒールを履いたらどんな感じかな?」と思い、履いてみたらめちゃくちゃ似合っていて、その夜は自分の脚の綺麗さに乾杯しちゃいました(笑)。

走るのも、学生時代ずっと陸上部だったので全然苦じゃない。私の今までの人生全てがこの動画に詰まっているといっても過言ではありません!(笑)。ここまで振り切って体張ってSNS投稿しているゲイっていなかったし、そういう全力の姿勢が見てくださっている方にもウケてるのかなと思っています。SNSを通して、悩んでいるLGBTの方の背中を少しでも押せて、勇気づけられる存在になれたらと思っています。ゲイの方でもピンヒール履いていいし、強みに変えることもできるんだよと伝えたい。抱え込んでいる人たちが一歩を踏み出せる存在になれたらなと思っています。

 

決して重い十字架ではない

 

―自分がLGBTだと気づいたのはいつですか?

 

完全に受け入れたのは中学2年。きっかけがあったのは小2。覚醒したのは3歳。過去をさかのぼったら、この三つの分岐点がありました。

 

―自分の性について向き合う中で、悩んだり抱え込んだりした経験はありましたか?

 

特になかったですね。当時は「誰にも言わないでおこう」と思っていて、嘘でもいいから女性と結婚して親を喜ばせて、棺桶に入るまで内緒にしようと思っていたんです。でも、ゲイであることが、自分の中で重い十字架だったいうわけではなく、自分の都合で内緒にしようと思っていただけなので、「周りに言いたいけど言えない」っていうストレスは全くなく、悩みは抱えていなかったんですよ。自分のふとした態度で周囲にバレないように気を付けていたくらいですかね。うわさが立つような行動はやらないように徹底していました。私自身、承認欲求がなく、他人から自分を認めてもらいたいという気持ちがなかったのも大きいかもしれません。今でこそカミングアウトしやすい社会になったけど、若いLGBTの人たちの話を聞いていると、LGBTであることの不安感や「どうせ周りには認めてもらえない」という諦めが先に出てきちゃって、自分から荒んでいるのに、相手に荒ませられたと思いこんで負の感情に陥っちゃっている子が多いなって感じています。

 

私はゲイだと気づいた時、今後どうしていこうかと考えた選択は「人に教えない」ということだった。ずっと秘めて生きていこうと思っていたのですが、20歳を超えて同級生で集まって飲んでいた時に、酔った勢いで言っちゃったんですよ。でも周りは驚愕するわけでもなく、「なんだよ、学生の時に言ってくれたらよかったのに~」と言ってくれて、素の自分を受け入れてくれたんです。「カミングアウトするのってこんなもんなのか!?」と自分が予想していた周囲の反応とのギャップに面食らったんですが、その経験もあって自分がLGBTであることに関しては、あまり特別視はしていないですね。

 

―DELIVAさんは、インフルエンサーであることの経験を活かして将来はアパレルブランドをやっていきたいっていう夢があるとお聞きしました。今後手がけたい自分のプランを教えてください。

 

私が思い描いているイメージはアートとリンクさせたアパレル。私が描いた絵と服がリンクしているような。絵から抽出されたデザインが洋服になり、同じイメージの絵と服が並んでいるブティックをイメージしています。その先の大きな目標は、手がけたブランドでニューヨークのファッションウィークに出たいです! 実際に絵を描いているところもライブで見てもらいたいし、そういうお店を作りたいと思っています。

 

また、デザイナーの仕事って華やかに見えるけど、やっていることはめちゃくちゃ地味。夜なべしているお母さんみたいな作業がメイン(笑)。洋服がどのようにして作られるのか、SNSを通してそういう一面も包み隠さず全て見せていきたい。SNSのメインユーザーである10代の子って、将来に迷っている層だと思うんです。その子たちがファッションの仕事をしたいと思ってもらえるきっかけになりたいですね。業界の輝いている一部分だけではなく、地味な作業も見せたい。そういうデザインの仕事の全てを紹介できればと思っています。

 

―素晴らしいですね。最後に悩める10代の方たちにアドバイスをお願いします。

 

犯罪に繋がるようなことじゃなければ、好きなことをやりなさい! 必死になって好きなことをやり続けなさいと伝えたいです。SNSの世界でも、トレンドに乗っかってやろうと思って投稿を始めると続かないもの。これは人生でも同じことだと思います。自分がハマったものにどれだけ向き合えるかで、きっと明るい未来は開かれると信じています。しかしこれには注意点が一つあって、好きなことなら最後まで投げ出さないという責任を持つこと。好きと言ったからにはやり切ることが大切だと思います。

 

例え親に反対されても、好きだと思えることなら優先されるべきだと考えます。一つの物に熱中しすぎると周りが見えなくなるけど、そんな好きなことに対して輝いているあなたのことはちゃんと周りが見てくれているし、仲間は増えていきます。それがまさしく私のハイヒールとSNSの関係(笑)。10代の子たちは懸命にSNSを使って好きなことを披露しているけど、コメント一つで一喜一憂してしまって、それが挫折や辞める理由になっちゃう。でも本当は好きなことだから、出来ることなら続けたいと思うんですよ。

 

そこで大切になるのが、何度も言うけど好きなことに向き合う覚悟だと思います。そうなると外ではなく自分に矢印が向くので、他人からの評価はきっと二の次になるはず。そこまで突き詰めると、今後好きなことをずっと楽しめると思う。だから若い子たちには頑張ってほしいなー!すごく一生懸命やりたいことをやっている子たちが多いので、見ている私はもう親目線ですよ。同じフィールドにいる者同士、好きなものに心から向き合っていきましょうね♪

 

出利葉 弘喜 (DELIVA)
1980年9月15日  乙女座 A型
九州生まれ、埼玉育ち。
沖縄県内にて、ファッションスタイリスト、デザイナー、ライター、画家など活動中。

 

TikTok:@deliva.inpo
Twitter:https://twitter.com/DELIVA_G
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCMhsOjk5igXqDO86VrPTAeg

 

聞き手・野添侑麻(のぞえ・ゆうま)
2019年琉球新報社入社。音楽とJリーグと別府温泉を愛する。18歳から県外でロックフェス企画制作を始め、今は沖縄にて音楽と関わる日々。大好きなカルチャーを作る人たちを発信できるきっかけになれるよう日々模索中。

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