3年生とのミーティングで、県大会への準備を呼び掛ける沖縄工業の知名淳監督(右)=20日、那覇市の沖縄工業高 画像を見る

 

夏の甲子園大会(全国高校野球選手権)の中止が20日に正式に決まった。夏の大舞台を目指し練習してきた高校球児や、指導を続けてきた監督らは「ショックは大きい」「残念だ」と肩を落とした。甲子園大会は開催されないが、独自の県内大会開催を望む声は根強い。球児や監督らは「最後の試合に向けて、今できることをしたい」と前を向いた。

 

甲子園の優勝経験もある興南高校では休校期間中、練習ができるようグラウンドなどの整備を続けた。午後3時すぎ、授業を終えた3年生がグラウンドに駆け出し、密集を避けてキャッチボールや捕球などに汗を流した。「練習中にチームメートから中止を知らされた」。静かに口を開いたのは、山城南海輝選手(17)だ。甲子園の舞台がなくなるという実感はなかったが、朝から「そわそわして寮生と(甲子園が)あるといいな、と話していた。仕方ないが、残念だ」とため息を漏らした。

 

昨年の秋季県大会で準優勝した八重山農林高校。野球部の新里和久監督(34)は、主将からの連絡で甲子園中止の決定を知り「想定はしていたが、ショックは大きい」と悔しさをにじませた。「部員たちには投げやりになってほしくない」と生徒をおもんぱかった。

 

3年生の登校日だった沖縄工業高校では、知名淳監督(49)が集まった一部の部員とミーティングを開いた。約10人の部員がマスク姿で参加し、中止の決定に「覚悟をしていたこと」と表情を変えずに受け止めた。國吉涼介主将(17)は「もし県内で大会が開催されれば、優勝を目指してやっていく」と気丈に振る舞う。友利祐太選手(17)は「今のところ野球は高校で終える予定だ。県内の大会を開催できた時に備えて、悔いの残らないように過ごしたい」と決意を込めた。

【関連画像】

関連カテゴリー: