同じ場所で撮影したタイムスリップ写真から変貌を読み取る。
レンズを通して見る街並みや建造物は、当時の生活や世相を映す鏡。現代にも息づく街の魅力とパワーを再発見しよう。
「奇跡の1マイル」こと国際通りの中でも、那覇市安里(安里川より東側の地域)は少しばかり落ち着いた雰囲気が漂っている。1957年までは真和志市だったことも関係しているのだろうか? 真和志といえば栄町が繁華街としては中心地だったわけだが、国際通りの安里地域にはバス会社のターミナルがあり、那覇にやって来る人々にとっては交通の要であった。牧志にも栄町にも行きやすいと言う立地を考えると、かなりのにぎわいを見せていたはずだ。
現在、サイオンスクエアとして生まれ変わった区画には、国際通り面した「おきぼうホール」と、その裏に琉球バスのターミナルがあった。おきぼうホールは、日本に復帰以後に大川家具のショールームに生まれ変わった。長く営業していたので、建物は覚えている人も多いだろう。その手前には、2階建ての瓦屋根の店舗も見えるが、これもサイオンスクエアが立つ直前まで残っていたような気がする。またサイオンスクエアの向かいには、バス会社である昭和観光のビルがあった。その映像も残っている。この建物は貸しホールとしてさまざまなイベントに利用されていた。やはり交通の便が良かったことで、イベントもしやすかったのだろう。ここは現在、ホテルロイヤルオリオンが建っている。
戦後、鉄道のない沖縄では公共交通機関としてバスが活躍していた。50年代には14社ものバス会社が乱立。そのうちの9社がまとまって昭和観光バスとなり、そこからさらに統合が進み、1964年に青バス株式会社と合併して琉球バスとなった。
また昭和のころの安里の三差路には琉映本館と言う映画館あった。その並びにあったバス停でも地方に帰る人々の乗降が多かったのだろう。周辺には商店が立ち並び賑わっていたのは、僕の幼少の記憶にも残っている。
執筆:真喜屋 勉(まきや つとむ)
沖縄県那覇生まれの映画監督であり、沖縄の市井の人々が撮影した8ミリ映画の収集家。沖縄アーカイブ研究所というブログで、8ミリ映画の配信も行っている。