「今回の五輪招致をどう見ますか?」「あのころに秘めた思い出はありますか?」——2020年の東京五輪決定を記念し、1964年東京五輪の金メダリストに話を聞いた。題して『東京オリンピック金メダリストの今と、49年前のヒミツ』。

 

「今の人はガッツポーズをしたり、メダルをかじったりしよるけど、当時は『感情は表に出さん』という風潮で、それが日本人だと思っとった。でも、選手村に帰るバスのなかで喜びがはじけてな。みんなで大声で軍艦マーチを歌った。金メダルが取れて、本当によかったと思ったよ」

 

そうは当時を振り返るのは、柔道男子軽量級金メダリストの中谷雄英さん(72)。柔道が初めて公式競技に採用された、’64年の東京五輪。日本は4階級中3階級で金メダルを獲得したが、なかでも中谷さんの強さは圧倒的だった。5試合すべて『一本』で、試合時間は合計でもわずか9分。優勝を決めた瞬間、中谷さんは静かに天井を見上げた。そんな中谷さんが思い出深いと語るのは、選手村での生活だ。

 

「黒人さんを初めて見たんですよ。みんなとても友好的で、自分も世界市民なんだと実感しましたな。選手村にはダンスホールもあって、外国人選手がゴーゴーを踊っていました。私もやってみたかったけど、よぉやれんかった(笑)。それから、びっくりしたのがファンタグレープのうまさです。この世にこんなにうまいものがあったのかと驚いた。今でもたまにあれを飲むと、オリンピックを思い出すぐらいじゃ(笑)」

 

中谷さんは現在、広島県柔道連盟の理事長を務める傍ら、週に4〜5回、母校である広陵高校柔道部の指導をしている。

 

「女子に1人、有望なのがおってですね、ひょっとしたら東京オリンピックを狙えるかもしれんのです。今から楽しみで仕方がないですわ」

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