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「大関になって、もう、うれしい気持ちでいっぱい!よく頑張ったよねえって、毎日思っているよ!」と言って明るく笑うのは新大関・高安(27)の母・ビビリダさん(56)。5月28日、都内のホテルで行われた田子ノ浦部屋の5月場所千秋楽パーティ後のことだ。

 

「息子を応援するために、自分で並んで2階席のチケットを買ったのよ。今はね、チケットもすぐに売りきれちゃって、買うのがとても大変」

 

大関に昇進し、5月場所の盛り上がりに貢献した高安。茨城県土浦市で長く高安親子と交流があった地元商店街の店主は「じつはお母さんのビビリタさんも、地元ではとても有名人でした」と語る。ビビリダさんは06年に閉店するまで約20年間、土浦市のショッピングモールの中で『サロサロ』という名のフィリピンレストラン兼パブを経営していた。

 

「ビビリダさんがやっていた『サロサロ』は、50人以上が入れる大きなお店で、相当に繁盛していたんですよ。日本にやってきたフィリピン人女性の中でも、成功者ですね。地元だけでなく、東京に住むフィリピン出身者からもうらやましがられている本当に有名人だったんです」(前出・地元商店街の店主)

 

そんな母に育てられた高安少年は野球に打ち込み小学校時代はリトルリーグ、中学では学校の野球部で活躍していた。父は昼間は雑貨商をしていて夜は母の店の手伝いをしていた。5歳上の兄も部活で忙しく、練習でヘトヘトになった高安少年が家に帰っても誰もいなかった。

 

「晃君(高安の本名)は学校帰りにそのまま『サロサロ』に行き、そこで夕食を腹いっぱい食べてから一人で帰宅していました。お母さんはいつも、豚肉や鶏肉に野菜炒めを合わせたピリ辛のフィリピン料理を作っていたようです」(前出・商店街の店主)

 

ビビリダさんは自身の“食育法”について、冒頭の千秋楽パーティの後でこう語っていた。

 

「牛乳をいっぱい飲んで、豚の丸焼きをいっぱい食べて……。ご飯をいっぱい食べたから、晃は大きくなったよ。食べる子は大きくなるよ!」

 

ちなみに豚の丸焼きは、フィリピンでは特別なお祝いの席のごちそう。日本の鯛の尾頭付きのようなものらしい。高安少年にとってもこの豚の丸焼きに特別な意味があったと、前出・商店街の店主はこう語る。

 

「晃君が野球の大会で頑張って活躍するたびに、お母さんは豚の丸焼きを作ってあげていました。晃君もそれを励みに野球をがんばっていたんでしょう」

 

母の特製豚の丸焼きで体を作っていった高安。そして、巨漢へと成長した高安少年は中学を卒業後、父の勧めで角界へ入門した。下積みがつらくて、7回も部屋を脱走したエピソードがあるが、実家へ逃げ帰って来るたび、母は優しく励ましたという。中学時代の担任の浅倉慈男先生はこう語る。

 

「お母さんは、陽気で優しい性格ですからね。辛いときは、そんなお母さんの陽気さに救われたんじゃないですか?その支えは、大きかったと思います」

 

家に逃げ帰ったときも母は豚の丸焼きを作ってあげたという。そうして元気を取り戻した高安は、部屋へと戻って行った。母の“特製料理”は、力士としてさらに階段を上ろうとする高安を、これからも支えていくことだろう。

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