「悲しいということはなかったんです。ただ入院中、夢はよく見てました。歩いていたら、急に肩から下がなくなって、ふわっと浮いて、無重力の空間を進んでいる夢とか。ズルズルお尻をついて手だけで動いているような夢とか。『こんな夢を見るねん』と友達によく話していました」

 

楽しそうに笑いながら、語る倉橋香衣さん(28)の口調はほんわかとしている。

 

彼女の人生を変える事故は、20歳のときに起こった。トランポリン大会の本番直前練習で技に失敗し、頚髄損傷。鎖骨から下の感覚がほぼなくなり、温度や痛みも感じなくなった。肩と腕の一部しか動かせない四肢麻痺の障害を負ったのである。

 

その倉橋さんが、いまやウィルチェアー(車いす)ラグビーの日本代表選手である。チームは昨年8月の「GIO 2018 IWRF ウィルチェアーラグビー世界選手権」で、強豪オーストラリアを下して優勝。その勢いのまま、’20年の東京パラリンピックの金メダルをめざしている。倉橋さんは活躍を期待されている1人なのだ。

 

記者は、東京・お台場の「日本財団パラアリーナ」で、車いすラグビーの練習を見学し、驚いた。「がしゃん、がしゃん」「ごつっ、ごつっ」と車いすのぶつかり合う金属音がアリーナに響き渡り、その迫力たるや、想像をはるかに超えていた。

 

両腕が自由に動く男子選手は、小回りのきく車いすでくるくる回りながら、コートを駆け抜けていく。青いゴム手袋の倉橋さんは、スピードこそないが、タイミングよく相手選手をブロックする。

 

激しくぶつかり合うのが特徴の車いすラグビーは、男女混合の競技である。1チーム4人で構成し、ボールを持ってゴールラインを越えたら1点入る。

 

選手は障害の度合いによって持ち点が設定され、0.5点(障害の重い選手)から、0.5点刻みに3.5点(障害が軽い選手)まで7クラスに分けられている。コートに入る4人の選手の持ち点は合計8.0点以内に収めるのがルールだ。ただしコートに女性が入ると、1人ごとに0.5点が加算され8.5点までOKになる。

 

「私は、まだまだスピードもパワーも、チェアースキルも、周りを考えて動くことも足りないんです。もっとうまくなりたい。ただ、これがむずかしいんです」

 

そう苦笑した倉橋さんだが、練習風景で印象的だったのは、紅一点の彼女の笑顔だった。ずっと笑いながら、楽しくて仕方ないという様子で車いすをこいでいる。

 

本当は、女性選手だということで注目されるのは、あまりうれしくないと倉橋さんは言う。

 

「ただ、私が(インタビューに)出ることで、車いすラグビーが男女混合やったんや、とわかってもらえて、この競技の魅力を知ってもらえたらうれしいです」

 

■プレー中でも笑っている倉橋さんの姿がチームに落ち着きを与えて――

 

「倉橋は、過酷な練習にも食らいついてくるんです。試合でも、障害の軽い『ハイポインター』(攻撃型)に軽くいなされようが、簡単には引かない強さがある」

 

’09年の世界選手権から日本代表として活躍している岸光太郎選手(47)が言う。そして、倉橋さんが代表に選出された理由の一つに「監督は、彼女の存在がチームにいい化学反応を起こすと考えているのかも」と。

 

「なにしろ倉橋はプレー中でも笑っていますからね。遠征が続いてギスギスしがちなときでも、笑顔で頑張る彼女の姿が、チームに落ち着きを与えている気がします」

 

この日、午前中の練習後、「日本財団パラアリーナ」内の会議室で倉橋さんは取材に応じてくれた。

 

「お昼を食べながらでもいいですか」と、膝の上にカップうどん。障害の程度の軽い選手がお湯を注いでくれる。彼女は右手の手袋にプラスチックのフォークを挟んで待っている。

 

「私は、越谷の自宅から車を運転して来ますが、ラグ車(競技用車いす)に乗り移るには、健常者2人のサポートが必要なんです。準備にも1時間半かかる。だから練習できるときは、絶対に時間を無駄にしたくないんですね。すみません、食事しながらの取材で」

 

倉橋さんが見据えているのは、もちろん東京パラリンピックだ。

 

「選手として出場したいし、出るからには、きちんと仕事をしたい。そこで仲間たちと喜びを分かち合えたら最高でしょう。それまでは努力しかない。自分は負けるのは嫌やけど、負けることで頑張ることもできる。こんな体だからできん、とか嫌なんです」

 

言葉に熱がこもる。ふっと息をついて倉橋さんはほほ笑んだ。

 

「もちろんできないことはあります。それを認めることも大事。でも、こうしたらできるかもしれないと頑張ってみる。そうやっていままでやってきました。私の障害の程度は、ケガをしたときから1ミリも回復していません。でも、できることは確実に増えている。これからも増やしていける。それは競技でも、同じことだと思っています」

 

取材の最後に結婚について質問したときの、倉橋さんのはにかんだ笑顔がチャーミングだった。

 

「そりゃ、結婚も考えますよ、子どもも大好きなので、いつかできたらいいなと思ってます。でもその前に、やらなければいけないことがあるんで!」

 

来年の東京パラリンピックで、彼女はどんな勇姿を見せてくれるだろう――。食事を終えた倉橋さんは、きりっとした表情に変わり、颯爽と練習場へ向かっていった。