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東京・お台場の「日本財団パラアリーナ」。ここで車いすラグビーの練習が行われていた。アリーナに、「がしゃん、がしゃん」「ごつっ、ごつっ」と車いすのぶつかり合う金属音が響き渡る。その迫力たるや、想像をはるかに超えていた。

 

激しくぶつかり合うのが特徴の車いすラグビーは、男女混合の競技である。1チーム4人で構成し、ボールを持ってゴールラインを越えたら1点入る。

 

選手は障害の度合いによって持ち点が設定され、0.5点(障害の重い選手)から、0.5点刻みに3.5点(障害が軽い選手)まで7クラスに分けられている。コートに入る4人の選手の持ち点は合計8.0点以内に収めるのがルールだ。ただしコートに女性が入ると、1人ごとに0.5点が加算され8.5点までOKになる。

 

両腕が自由に動く男子選手が、小回りのきく車いすでくるくる回りながら、コートを駆け抜けていく。青いゴム手袋の倉橋香衣さん(28)は、スピードこそないが、タイミングよく相手選手をブロックする。

 

「楽しいです。タックルが怖いと思ったことも何度もあります。障害の重い選手は手をつくと骨折の恐れがあるので、体から落ちたほうが安全なんです。でも床に思いっきり顔を打ちつけると痛いんですよ。あ、痛いことが楽しいわけじゃないです。怖さよりも、いろんな国に連れていってもらって、本当に世界が広がったんです」

 

倉橋さんの人生を変える事故は、20歳のときに起こった。トランポリン大会の本番直前練習で技に失敗し、頚髄損傷。鎖骨から下の感覚がほぼなくなり、温度や痛みも感じなくなった。肩と腕の一部しか動かせない四肢麻痺の障害を負ったのである。

 

その倉橋さんが、いまやウィルチェアー(車いす)ラグビーの日本代表選手である。チームは昨年8月にオーストラリアで開催された「GIO 2018 IWRF ウィルチェアーラグビー世界選手権」で快挙を果たす。“史上最強のハイポインター”ライリー・バット選手を擁する世界ランク1位のオーストラリアを62対61の接戦で下し、初優勝したのだ。

 

2人のエース池崎大輔選手(41)と池透暢選手(38)のハイポインターが大活躍した試合は、日本でもテレビ放映。そこには奮闘する倉橋さんの姿もあった。器用に車いすをターンさせ、ガツンと相手にぶつかっていく。スキンヘッドのバット選手を彼女がブロックし、その隙に池崎選手がゴールしたシーンでは、解説者が歓声を上げた。

 

「倉橋選手、大活躍ですね!」

 

彼女は、バット選手の車いすにピタリと寄せて彼の出足を遅らせたり、壁になってコース変更を強いた。彼女の一瞬のガードが、日本代表チームにチャンスを呼んだ。巨漢選手との対峙は怖くなかったのだろうか。

 

「たしかに圧倒的に体が大きいし、重たいし、スピードもある。でも私は、あの当たりが楽しみだったんです。彼が私のところに来ているということは、日本チームにとって有利な空間ができたり、ディフェンスする人数が余っている状況でもあるんです。『ライリーが来た、ラッキー!』と言うと変だけど、本当にうれしいんですよね」

 

トランポリン事故から7年あまり。いわばゼロから自分を立て直してきた倉橋さんの現在は、世界選手権の金メダリストである。

 

「う~ん、でも金メダルの実感はあまりないんです。『もっとやれたやろ』という気持ちのほうが強いからでしょうね」

 

関心は、次にクリアすべき課題にしかない――。倉橋さんが見据えているのは、もちろん東京パラリンピックだ。

 

「選手として出場したいし、出るからには、きちんと仕事をしたい。そこで仲間たちと喜びを分かち合えたら最高でしょう。それまでは努力しかない。自分は負けるのは嫌やけど、負けることで頑張ることもできる。こんな体だからできん、とか嫌なんです」

 

できることを一つずつ増やしていくことで、目標に向かっていける幸せを、いま感じている倉橋さん。’20年の東京パラリンピックで、彼女はどんな活躍を見せてくれるだろう――。

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