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3連覇がかかる北京五輪の舞台が目前に迫る羽生結弦(27)。今回、本誌が取材した城田憲子さん(75)は、彼を裏からサポートしてきた人物だ。

 

城田さんは、長く日本スケート連盟に身を置き、’94年から’06年まではフィギュア強化部長を務めた。国際審判員としても活躍し、日本のフィギュアスケート界を裏側から支えてきた。

 

出版されたばかりの著書『たかがジャンプ されどジャンプ 日本フィギュアスケートに金メダルをもたらした武器』(集英社)のなかで、多くの名選手の逸話をつづっている城田さんが語る、羽生とのエピソードはーー。

 

■ブライアン・オーサーに師事した経緯は

 

城田さんは、’11年の東日本大震災後、羽生が仙台の練習拠点を失ったころから、彼のサポートにより深く関わることになる。

 

このころ、羽生の恩師の一人である都築章一郎さんと羽生の母親から「羽生の強化に力を貸してほしい」と依頼を受けたのだ。

 

「いろいろお話を重ねていくうちに、環境を変えなければいけないだろうという話になりました。“落ち着いて滑れる環境を確保するためには”“もっと成績がよくなるためには”と話し合っていくなかで出てきたのが、羽生が今も師事するトロントのブライアン・オーサーの名前でした」

 

城田さんはこの数年前から、韓国のキム・ヨナを育てた世界的コーチであるオーサーに、日本選手の指導を託すというプランを温めていた。’10年のバンクーバー五輪の会場で、オーサーに「近々、日本の有望選手の指導をお願いすると思うので、心に留めておいてください」と声をかけてもいた。

 

「ただ、羽生とご家族に、私が『トロントに行きなさい』と言ったわけではないんです。コロラドにはこういう先生がいて、デトロイトにはこういう先生がいて……なんていろいろ説明したなかで彼らが最終的にトロントを選んだのです。

 

トロントは比較的安全な場所ですし、ご家族も海外での車の運転は大変ですが、バスや地下鉄など交通事情がよいという利点があります。なにより最初の金メダルをとるために、コーチがブライアンだというのはベストな選択だと思いました。ブライアンのところには、ハビエル・フェルナンデスのようなライバルもいました。そういう環境で練習することも強くなる秘訣だと思います」

 

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