■20億円横領事件で疎遠になっていた新庄と母の「和解」。「球界復帰」は姉への励まし
「事件を起こした伯父さんは、お母さんの文子さんの姉が嫁いだ先。兵庫で会社経営をしていて、子供がいなかった。それもあって、文子さん夫婦は、高校を卒業したばかりで阪神に入団して大阪に行った剛志君の面倒や、金銭管理までお願いしたみたいです。でも、あんなことになってしまって……」
語るのは、新庄が小学校に上がるころから一家と交流のある知人女性だ。彼女によれば、この件を境に、親子関係にも変化が生じたように見えたという。
「日ハムのころはお父さんも元気で、よくお母さんと一緒に球場へ剛志君の応援にも行ってました。なのに、この事件以降は、文子さんが剛志君と電話で話していても、『ツヨシのイラッとしとるのが私にも伝わってくるんよ』と、気にするようになっていました。剛志君も、このことがあって、日本にいるとメディアに追いかけられるのがイヤで、遠いバリに行ったのではないでしょうか」
当時、公にはたまたま取材で訪れバリを気に入ったように語っていたが、その背景にはこんな家族の事情があったようだ。
「一緒にバリへ行って剛志君を元気づけようと、何度も文子さんを誘いました。でもね、お母さんは『絶対に行かない』って言うの。母親として行きたい気持ちはあるようなんだけど、『飛行機に乗るのが怖い』って」
その後、11年の英敏さんの葬儀では、文子さん、姉、新庄と、残された家族3人が一時的に顔を合わせている。知人女性は続ける。
「お姉さんも、このころはまだお元気にされていました。中洲のスナックでママをしているという話もあったようですが、私の知る限りこれはバイトか何かで、本格的に経営したのは水商売ではなく美容関係だったはず。お父さんから、『博多駅近くで、エステの店をやるんだ』と聞いたように記憶してます。病気のことは、はっきりとは知りません。病名も私の口からは言えません。だいぶ前から患ってはいるようです。ただ、私が最後に会ったときは、昔のまま、きれいな顔をしていました」
新庄が、この姉のために球界復帰を決意したことについても、
「あの子らしい。剛志君は、自分よりもまわりの人を励ましたり、元気にしたいと考える子。おおらかな明るさはお父さんから、芯の強さやまじめさはお母さんからと、両親のいいとこどりをして生まれてきたんですね」
実は、取材を進めるなかではこんなことを言う、新庄家の近所の住人もいた。
「剛志さんがメジャーに行って億という金を稼いでも、両親は古い借家に住み続けていた。この辺なら、3千万〜4千万円も出せば立派な新築の一戸建ても買えるだろうに。剛志さんは、あまり実家にも顔を見せないようですし、両親をほったらかしやないですか」
しかし、この発言はすぐに正しくないとわかった。証言するのは商店を営む新庄の中学校の同級生だ。
「これは、彼の名誉のために言います。直接、本人から現役時代に聞きました。新庄は、両親に何度も『ボクが家を建ててあげる』と提案したそうです。そのたびに、お父さんが『余計なことは考えるな』と断ってきたと」
知人女性も、また言う。
「『家なんか建てんでいい』と言ったのは、文子さんも同じ。それは、『剛志は剛志の人生、私たち親は私たちの人生』という考え方なんだと話していましたね。小遣いを剛志君が送ると言ってきたときも、『金なんかいらん』といつも答えていたそうです」
子供は子供と、一見、突き放した印象を受けるかもしれないが、それはまったく違う、と知人女性は語る。
「実は、お母さん自身、幼いころに両親が離婚して家族が離ればなれになったりして、大変なご苦労をされているんです。お父さんも同じような境遇と聞きました。だから、文子さんも英敏さんも愛情いっぱいに剛志君たち姉弟を育てました。『剛志は剛志の人生』というのは、私たちがしたような苦労をしないで、『自分の人生を思う存分に生きてほしい』という親心からなんです」
電話も、親のほうからはかけないという。「野球に集中させてやりたい」との配慮からだ。うらやましいほど自立した親子関係だったのが、伯父の不祥事により疎遠になってしまった様子なのが本当に不憫だったと、知人女性は振り返った。