■母は「わが子ながら、よくぞここまでたどり着いたなあ」と、娘を誇りに感じて
「担当する試合が毎週あるわけではなく、オフシーズンもあります。これまでは、審判員の収入だけで生活するには厳しい実情でした」
山下さんがJFAとプロ契約を結んだのは、今年の7月。職業として審判に専念できる報酬を年間契約で得られるようになった。
だがそれ以前は1試合数千円〜数万円のギャランティのみだったため、7月までインストラクターのアルバイトを続けていたのだ。
そんな山下さんを信じて、応援してきた母が取材に答えてくれた。
「サッカーを始めた4歳のころは、ほかに女子がいませんでしたが、私は娘にただ好きなことをさせてあげたかった。良美もやる気まんまんで、『女子のハンディキャップ』はまったく感じませんでした」
学生時代、選手としての試合には両親で応援に駆けつけていた。審判に転向した後も「審判する娘」を毎試合、見に行ったのだという。
「どの試合も入場行進は感激しますが、その後はすぐ『何事も起こらず、(試合が)早く終われ、早く終われ』と念じているんです」
母として娘に持つ願い、「好きなことをして幸せに」は最高の形でかないつつあるが、一方で、将来についてはどう思うのだろうか。
「いろんな場面、局面……プロになったときも、良美は私たちに、状況や展望を話してくれました。
良美の活躍する姿を私たちが楽しんで、心から応援していると、わかっているんだと思います。
今後の人生は良美本人が決めること。私たちは彼女自身が決めたことを、すべて受け入れて、応援していこうと思います」
最後に「ただ……」と区切って、
「よくぞここまでたどり着いたなあと、わが子ながら、大したものだと思います。ワールドカップは、ただ体調を万全に整えて、無事に終えてほしい。それだけです」
ここまで育ててきた娘への、母としての全幅の信頼と、誇りが感じられる言葉だった。
山下さんにも両親についてたずねてみると「親孝行」について、次のような言葉で語ってくれた。
「両親には感謝しかないので、もちろん親孝行はしたい。なにが親孝行なのかわかりませんが、なんらかの形でしたいんです。
日ごろは気恥ずかしくて、感謝も伝えられていないんですが……」
しかし、いまは主審として活動する姿が最高の親孝行に違いない。
そして間近に迫るワールドカップでの彼女の勇姿に、日本全国の女性が誇らしさと晴れがましさを感じることだろう。
山下さん自身は「仕事と私生活の見通し」を、どう考えているのだろうか……。
「人生設計として明確なプランは、いまは持っていないんです。もともと将来像を明確に持って行動するタイプでもありませんし……。
ただ、サッカーにはこの先も、なんらかの形で、ずっと長く携わっていきたいと思っています」
11月20日開幕のカタールワールドカップで、彼女が女性主審の道を切り開く姿に、見る者は人生を重ね合わせ、希望をはせる。
それがサッカー界の女性活躍として注目されれば、さらなる理解と底辺の拡大につながっていく。
いま“ウィンウィンなパス回し”のキックオフを、山下良美主審のホイッスルが告げているーー。
(取材・文:鈴木利宗)