■高校卒業後、メジャー入りを宣言した大谷の心を動かしたのは栗山監督の二刀流への誘い
「大谷が花巻東高校の2年生の取材時に、『メジャーでプレーしたい』という言葉を、私の目を見てはっきり口にしていました。
高校生でありながら、明確な目標があって、それに向かうプロセスを把握できている選手だと思いました。また、そのための努力を、自然にできるのが大谷だと思います」
語るのは、MLBアナリストの古内義明さん。
ドラフト1位候補とも呼ばれた高校生が、日本のプロ野球を経験せずに、いきなりメジャーリーグ挑戦を宣言したことは、野球関係者やファンを驚かせた。実現すれば、もちろん前例のない挑戦であった。
しかし、思わぬ事態が巻き起こる。’12年10月のドラフト会議で、日本ハムが大谷選手を単独1位指名したのだ。
以降、球団と、大谷選手および大谷家との交渉が重ねられていく。
「パイオニアになりたい」
と、あくまでメジャー行きの希望を口にする大谷選手に対して、球団側から「夢への道しるべ」という資料が届けられた。それには日本のプロ野球を経て渡米したほうが成功の確率が高いことなどが綿密なデータで示されていた。
また、この年にキャスター業から転身していた栗山監督の、「大谷くんへ、夢は正夢。誰も歩いたことがない大谷の道を一緒に作ろう」という直筆メッセージ入りのボールが手渡されることもあった。
その栗山監督が、ドラフト後、直接、大谷選手に会ったのは11月の終わりのこと。
監督は、自身のアメリカ取材での体験も引きながら会話したという。マイナー契約から始めたはいいが、環境などに恵まれず、メジャーで活躍できないまま終わる選手なども、キャスター時代に多く見ていたからだ。
「まず日本のプロ野球で実績を積んで、それからきちんとメジャー契約をして渡米するべきだ」
日本ハムへ来てほしいということは口にせず、「共に大きな夢に向かって適切なルートで一歩を踏み出そう」と説得したのだった。
さらに、大谷選手の心を大きく動かしたのが、栗山監督が交渉のなかで持ち出した「二刀流」という言葉だった。
このことが、日本ハム入りに大きく影響したのではないかと、母親の加代子さんも語っている。
《翔平は投げることも、打つことも好きな子なので、私は「プロに入って両方やらせてもらえないのかね?」と何も考えずに言ったことがありました。翔平は「まさかそんなの無理でしょ」みたいに言っていましたけど》(『道ひらく、海わたる』)
もし高校卒業後に渡米していたらまったく違う結末を迎えていたと話すのは、『大谷翔平 日本の野球を変えた二刀流』(廣済堂出版)の著書もあるスポーツライターの小関順二さん。
「高校卒業後、大谷が“直メジャー”の道を歩んでいたら、二刀流の選択肢はありませんでした。大谷本人も言っていますが、メジャーリーグ全球団に『打者・大谷』を求める空気はなく、『投手・大谷』の道しかありませんでした。
スカウトを含めた日本ハムのフロントが二刀流の道を示したことにより、大谷の気持ちのなかに日本ハムでプレーする気持ちが芽生え、今、私たちが目撃している“奇跡”がもたらされたのです」
12月25日の入団会見でガッツポーズする大谷選手の隣には、笑顔で見守る栗山監督の姿があった。
以降、大谷選手と栗山監督、スタッフらは、日本プロ野球史上前代未聞の二刀流挑戦への道のりに踏み出す。