■師であり、野球界の父に見送られて、大谷は5年越しの願いを実現してアメリカへ渡った
プロ入り2年目の’14年、大谷選手は早くも投打で11勝と10本塁打の実績を上げ、同一シーズンで2桁勝利と2桁ホームランを達成。これは日本プロ野球史上初の快挙だった。
この活躍ぶりに、二刀流は認められるかに見えたが、まだまだ否定的な意見を言う球界OBや評論家は多かった。
「かえって、どっちつかずで、せっかくの才能を無駄にするのでは。肉体的な負担も心配だ」
栗山監督自身に、迷いはなかったのだろうか。
前出の古内さんは語る「大谷は、数十年に一人の逸材で、日本で唯一無二の存在です。栗山監督は相当なプレッシャーと責任感のもとに、コーチらと綿密な育成方針を立て、大谷翔平という大事な芽を摘まないように、かつ無限の可能性を引き出していった」
インタビューなどで栗山監督は、大谷選手を自チームに迎えて以来、「野球界の宝をお預かりしている」という表現をよく口にしている。
その背景には、自分たちのやり方で大谷選手の両親、佐々木監督、何より本人の望むかたちでの成長を遂げさせることができるのだろうか、との思いがあった。
しかし、そんな監督たちの不安を消したのは、当の大谷選手自身が、前人未到の二刀流への挑戦を、かつての野球少年だったときのように純粋に楽しんでいる姿だった。
やがて、師弟で歩んできた道が正しかったことが立証される。
’16年7月のソフトバンク戦に、1番・投手として先発出場した大谷選手。バッターとして打席に立つや、いきなり初球をスタンドにたたき込む。投手による先頭打者ホームランは日本のプロ野球初どころか、メジャーリーグにもない歴史的な大記録だった。
教員免許も持つという、緩急を知り尽くした栗山監督の指導法が実を結んだ瞬間だった。
「栗山さんは、大谷のことを、ほとんど面と向かって褒めない。褒めれば、成長が止まると思って、“嫌われ役”に徹していた。二刀流や先頭打者本塁打なども、『大谷ならやって当然だ』という親心が前提で、世界一の選手になるとずっと背中を押してきた」(古内さん)
その後も、大谷選手を軸として日本ハムの快進撃は続く。9月には完封勝利でパ・リーグ優勝を決め、日本シリーズ出場をかけたクライマックスシリーズのファイナルステージでは、165kmのプロ野球最速記録を自ら更新。
この年、日本ハムは日本一となり、大谷選手はMVPに輝いた。以降、「日本のベーブ・ルース」の名が定着する。
そして’17年10月のオリックス戦で「4番・ピッチャー」となった大谷選手は、オフを迎え、メジャー挑戦を正式に表明。
メジャーの全30球団のうち、実に27球団が獲得に名乗りを上げたのだった。
メジャー行きを決めた大谷選手に対して、栗山監督は「ホッとしました」と、心情を語った。
共に夢を追う師であり、野球界の父に見送られて、大谷選手は5年越しの願いを実現させ、アメリカへ渡った。