■「大谷選手が龍馬なら栗山監督は勝海舟」
さらに“偉大な師の存在”も共通していると山村氏は続ける。
「大谷選手が高校卒業時にメジャーに行かなかったのは栗山監督がいたからこそ。栗山監督の導きで北海道日本ハムファイターズに入団し、プロとして二刀流を磨いたことが、現在のメジャーでの大活躍につながっていると思うのです。
実はこれ、龍馬が勝海舟のもとで修業して成功したこととかぶるんです。それまでの龍馬は実は見識の狭い、普通のいち浪人だったんですが、勝海舟と出会うことで雷に打たれたような衝撃を受け、幕末の志士として目覚めていくんです。“龍馬”大谷選手にとって、栗山監督は勝海舟なんです」
実際、日本ハム入団交渉の際、栗山監督は龍馬の話で大谷&加代子さんと意気投合したという。
「栗山監督は交渉時に“人として生まれたからには太平洋のようにでっかい夢を持つべきだ”という龍馬の言葉を引用したそうです。これは司馬遼太郎の著書『竜馬がゆく』でも出てくる言葉で、大谷母子の胸に響いたといいます」(前出・在米スポーツライター)
もはや“令和の坂本龍馬”とも言える大谷を、龍馬の末裔はどう見ているのか――。郷士坂本家10代目・坂本匡弘さんに聞いてみた。
「志半ばで暗殺された龍馬ですが、存命なら北海道開拓に着手していたはずです。いくつかの記録からもそのことがうかがえます。また、私の父(9代目・登氏)は日本ハムのチームの旗に“ONE”というスローガンの文字を書いたこともあるんです。ですから、大谷選手とはご縁を感じています」
大谷と龍馬には別の共通項があることも教えてくれた。
「大谷選手は『遠征で枕が変わっても寝られるし、移動の乗り物でもよく寝られるタイプ』と語っているそうですが、龍馬もどこでも寝られる人間だったそうです。
また、龍馬はとにかく新しいもの好きで日本人で初めてボウリングをやったり、刀の時代にいち早く拳銃を持ったりしていました。そういう開拓精神のような部分は大谷選手と共通しているのではないでしょうか。
さらに、大谷選手はいま老若男女、誰からも好かれているでしょう。龍馬も勝海舟はじめ、男女問わずかわいがられるところがありました。おおらかで明るい人柄だった点でも共通していますよね。あれほどすごい大谷選手が龍馬のことを好きだと言ってくれるのは、子孫としては非常に光栄だしうれしいことです」
前出・山村氏が力説した「大谷翔平が坂本龍馬であり、栗山監督が勝海舟」という“再来”説を伝えると、匡弘さんも「言い得て妙ですね」と会心の笑みを――。海を渡った“令和の坂本龍馬”こと大谷翔平を、きっと龍馬本人も海援隊とともに応援しているはずだ。