■絶望的だった春の選抜出場のため、早朝に大谷は「神社にお参りしに行こうぜ」と……
甲子園終了後に痛みの引かない体を再検査すると、骨端線損傷だったと判明。成長段階の骨に過度な負荷をかけたために起こったケガだった。このピンチを佐々木監督は大谷の体を成長させるチャンスと考えた。睡眠を十分取らせるため、主力の多くが入る第一寮から、部員の少ない第二寮に移動させた。入部時から始めていた“食事トレーニング”も継続した。
「体作りも練習のひとつで、とにかく食べて体重を増やさなければいけなかった。ご飯は1日茶碗10杯がノルマ。最後は卵と納豆で流し込んでいました」(小原さん)
入学時、大谷は身長186cmながら体重66kgと痩せていたため「トッポ」と呼ばれていた。
「投手陣は練習中に呼ばれ、監督に『弁当が余ったから食え』と言われ、正座して無理やり口に入れていました。野球の練習よりつらかった。でも、そのおかげで体ができて、スタミナやボールの威力がつきました」(山根さん)
2年夏の甲子園で敗れた花巻東は、3年春のセンバツ出場に懸けていた。事実上の選考会である2年秋の東北大会、ケガの大谷は準々決勝からスタメンに復帰するも、準決勝で光星学院に惜敗。東北の出場枠は2つのため、甲子園は絶望的になった。しかし、各10地区の優勝校の集まる明治神宮大会で光星学院が勝ち進み、希望の光が見えてきた。山根さんは言う。
「優勝してくれれば、東北の枠が1つ増える。翔平が『神社にお参りしに行こうぜ』と言ったんです。第二寮に住んでいた5人で、朝の点呼がある前に向かいました」
準決勝当日、まだ日の昇らない時間に5人は飛び起き、一目散に学校近くの花巻神社に走った。
「『いつもありがとうございます。光星学院、よろしくお願いします』とお祈りしたら勝った。『明日も行くしかねえ!』となって、決勝の日もめっちゃ早起きして『ぜひ、光星学院の優勝をお願いします』と手を合わせたらまた勝った。センバツ出場が決まった後、翔平と『お祈りしてよかった』と喜びました」
大谷は骨端線損傷と判明してからの半年で、10kgの増量に成功。センバツ前には193cm、85kgになった。制服のワイシャツは特注になり、教室の机と椅子も体に合うように7cm底上げされた。年が明け、一回り大きくなった右腕は投球練習を再開した。
「下級生がキレのいい変化球を放っていたら、『どうやって投げるの?』と聞いてました。翔平とのキャッチボールで、僕がチェンジアップを投げたら『教えて』と。アイツはすごい選手なのに、本当に野球に貪欲で謙虚なんです。ただ、自分には合わないと思ったらすぐ切り捨てる。その性格が大成する理由なんでしょうね」(山根さん)