■伝えられていた茂雄さんの容体
茂雄さんが脳内出血で倒れた’22年ごろから、徐々に2人の関係は改善し始めていた。
「3年前に、亜希子さんの眠る日本の墓にも、一茂さんが奥さまと一緒に訪れたことがあったと聞いています。
そして、茂雄さんを支えていた三奈さんと次第に連絡を取るようになっていったといいます。
父親の容体が芳しくないことをごきょうだいから聞いていたのでしょう。いつでも駆け付けられるようにと、年末年始のハワイ旅行も自粛。父の最期には絶対に立ち会うと決めていたのでは……」(前出・一茂の知人)
確執を乗り越えるまでの経緯をこの一茂の知人が推察する。
「一茂さんはスーパースターであった茂雄さんに対して、幼少期から引け目を感じていたそうです。
一茂さんは父親と比べられながらプロ野球に挑戦。引退以降も、タレントや、俳優、実業家など幅広い分野で活躍してきました。
父に認められたいという思いでここまで頑張ってきたのでしょう。そして来年1月には還暦を迎えます。もう一度、父と向き合う覚悟が生まれていたのでしょう」
幼少期のころには、親子の対話ができる貴重なひと時もあったようだ。前出の『モーニングショー』で一茂は「本当にちょっとの間だったけど、父親と(野球)できるのが楽しくて。キャッチボールしてくれるときもあって」と言い、さらにこう続けていた。
「(キャッチボールを通して)父親と会話できたのが私の中での最大の思い出。それは言葉じゃない、というのがあった」
一茂は最期の病床で、茂雄さんともう一度、“心のキャッチボール”を行うことができたようだ。
「容体が急変したとの連絡を受けて、一茂さんが病室に訪れたときには、生命維持装置を付けられていた茂雄さんの意識はなかったといいます。
そして“再会”から一夜明けて、茂雄さんは亡くなったそうです。最後の言葉こそ交わせませんでしたが、2人にとってかけがえのない時間になったことでしょう」(前出・一茂の知人)
前出の『モーニングショー』で一茂は「この間、きょうだいとも会って病室にみんな集まったけども、泣いているきょうだいは逆にいなくて、笑い声さえ聞こえて」と明かし、家族が病室に集まり、涙は流さずに明るく見送ったことを報告していた。
一茂と父・茂雄さんの絆は永久に不滅のようだーー。
画像ページ >【写真あり】57年前、自宅の庭で茂雄さんと遊ぶ一茂(他2枚)
