■支えてくれる妻、守るべき子どもたちが金メダル以上の価値を教えてくれた
大切な存在を失っても、葛西選手は飛び続けた。その背中には、新しい家族の存在があった。妻・怜奈さん。遠征続きの生活を理解し、静かに支えてくれる伴走者だ。2014年、ソチオリンピック。銀メダル獲得直後、真っ先に国際電話をかけた相手がいる。交際していた怜奈さんだった。
「おまえしかいない。結婚しよう!」
結婚報告のブログには、葛西選手らしい率直な言葉が並んだ。
《40歳を超えてようやく結婚する事が出来ました。今後は二人三脚で頑張って行きます》
料理上手な怜奈さんは、過酷な体調管理を日常の食卓から支え、海外で結果が出ないときには、「元気になるメール」を送った。変顔の写真に、「のりさん、頑張って!」の一言を添えて。やがて、子どもたちが生まれる。現在は9歳、5歳になる娘と息子。父親になったことで、飛ぶ意味はさらに変化した。
「変な成績だと、子どもたちの期待に応えられない。試合に行くときは、いつも『優勝してきてね!』って言われるんで」
父親になった葛西選手は、子どもたちに競技のことを多く語らない。「父ちゃん、すごいんだぞ」と誇ることもしない。それでも最近は、学校で「お父さんはスキージャンプの葛西選手でしょ?」と声をかけられ、娘は少しずつ父の立場を理解し始めているという。
家で過ごす時間は限られているが、公園に行き、虫を捕り、自転車の乗り方を教える。テニスボールやバスケットボールで遊び、一輪車の練習にも付き合う。
「子どもの面倒を見るのも、僕はスポーツ派ですね」
娘は運動神経抜群で、息子はできるまで粘るタイプ。自分と妻、両方の血を感じながら、父親としての時間を重ねている。家庭での話題の中心は、いつも子どもたちのことだ。食事制限の厳しいシーズン中でも、子どもたちがおいしそうに食べる姿を前に、野菜スープをすする。それを苦に思うことはない。
「我慢強いんで(笑)」
実は大の米好き。土鍋で炊いたご飯を後輩たちに振る舞うのも、家族を持ってからの葛西選手の日常だ。
「気にせず頑張ってきて」
怜奈さんは、そう言って送り出す。その距離感が、長く戦い続けるアスリートにとって、何よりの支えだった。最近は、ジャンプのまねをするようになった息子に、「ジャンプはダメだからね」と言い聞かせるという。なぜかと聞くと、こう返ってきた。
「もっと人気者になれるスポーツがある。テニスやゴルフだったら、生涯スポーツなので、一緒にできるかなって」
そこには、一人の親としての顔があった。新しい家族は、葛西選手に「次の夢」をくれた。メダルの色でも、出場回数でもない。飛び続ける父親の背中を、いつか子どもたちが思い出してくれること。その未来へ向かって、今日もマイホームを後にする。
(取材:作道恭子/文:服部広子)
【後編】五輪逃した葛西紀明が50歳をすぎて感じていた変化「目のピントが合わない」へ続く
画像ページ >【写真あり】1990年、初優勝した高校3年生の葛西紀明選手と母の幸子さん(他1枚)
