■医師の診断は「頸椎骨折および頸髄損傷」。「担架で運ばれるときも手足がダラーンと」
「あの日、家族と箱根温泉に日帰り旅行に行ったんです。私は次男とともに、サウナや露天風呂でリラックスしていました」
’23年10月29日のことである。岩風呂につかっていた山下さんは、「おい、そろそろ上がるぞ」と次男に声をかけた。そしてスッと立ち上がった瞬間に「意識がなくなった」という。
露天風呂を囲んでいる岩縁から約2メートルある急傾斜を、当時108キロの巨体が頭から転げ落ちたのだ。
「大丈夫ですか?」
近くで入浴していた客の一人が駆け寄って、大声で呼びかけてくれた。気が付けば急斜面にいて、
「頭が下になって、両足は上を向いたまま。足はまったく動きません。担架で救急車へ運ばれるときにも、力が入らない手足がダラーンと下がったままでした。『これは神経が切れているな』と自覚しました」
次男がすぐに、妻・みどりさんを呼びに行っており、家族が同乗した救急車は東海大学病院へ。
医師による診断は、「頸椎骨折および頸髄損傷」。首の部分の脊髄が傷つき、脳からの指令が手足に届かなくなるという、深刻な重傷を負っていた。
最も重篤な場合は心停止や呼吸停止で死亡することがあり、治療後も四肢の麻痺や、自発呼吸ができなくなるなどの重い障害が残るケースも多い。
山下さんは集中治療室に運び込まれ、腸骨を削って首に移植する大手術が行われた。露天風呂から転落し、意識を取り戻した山下さんの頭をよぎったのは、「これでプレッシャーから解放される」という思いだったという。
選手時代は国民的ヒーローで、引退後も選手を指導する現役監督だった。全柔連会長などの重責も担い、つねに「日の当たる真っすぐな道」を歩いてきた半生だった。
しかし’19年のJOC会長就任の当初から、翌年の東京大会を巡る汚職疑惑でバッシング報道は激化し、世間の目も厳しくなった。
「非常に強い逆風が吹いていました。そんななかで、新型コロナ禍となり、『国民の命より、五輪開催を優先するのか?』という厳しい意見もありました。皆さんの私に向けられる目が『権力側の人間を見る目』に一変したんです」
想像以上の重圧に、さらに追い打ちをかけるように……。
「今度は’30年の札幌オリンピック招致の話が持ち上がりました。招致の交渉は順調に進んでいたかと思いきや、’23年後半になると雲行きが危うくなりました」
試合で無敵の英雄も、政治力が必要な世界と、そこに身を置いたことで受ける世間の「風当たり」には耐性がなかったのだ。
「私自身、思っていた以上に打たれ弱い人間だったのだと、あとで気づきました……」
それが山下さんが感じていたプレッシャーの正体だったのだ。
(取材・文:鈴木利宗)
【後編】「障害者になったことには挫折もジレンマもない」頸髄損傷から3年の山下泰裕がいまも車いすで教壇に立ち続ける理由へ続く
画像ページ >【写真あり】授業で多くの学生たちに語りかける山下泰裕さん(他3枚)
