シリーズ人間の最新ニュース
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深刻事態のあとに笑いが―阿川佐和子&ヤマザキマリ「母娘介護対談」
2019/06/30 06:00阿川佐和子(65・以下、阿川)「うちはいま、認知症の母(91)をきょうだいとお手伝いの方とローテーションを組んで、在宅介護しています。その合間にショートステイで外泊サービスを利用しているんです」ヤマザキマリ(52・以下、マリ)「私の母(86)は北海道の実家の近くに住む妹が、在宅介護をサポートしてくれていました。それが、認知症に加え、パーキンソン病も併発して……。足元がおぼつかなくなり、今年1月、部 -
阿川佐和子とヤマザキマリが語る 認知症母にやさしくなれるまで
2019/06/29 06:00「お互い、もう介護される年齢に近づいているわね」という話から始まった“認知症介護対談”。年を重ね歴史のある母娘でも、母が認知症になればその関係は変わってくる。いままで見せなかった弱さを見せるようになったヤマザキマリさん(52)の母は、これまで着ていた鎧を脱いで穏やかに。阿川佐和子さん(65)の母は家族のかせから逃れて、自由になった。母娘が向き合って、その距離がぐっと近くなった介護の時間はとても豊か -
元ひめゆり学徒・島袋淑子さん「“戦争は絶対ダメ”と言えるように」
2019/06/24 16:00太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。その学徒たちの遺品や資料を集めた『ひめゆり平和祈念資料館』は、いまから30年前の'89年に設立された。全国でも珍しい、戦争関連の民間による博物館だ。《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『 -
「両陛下『平和への祈り』を風化させない」…元ひめゆり学徒の決意
2019/06/24 11:00《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『生きるも死ぬも一緒よ』と言っていたのに……。水が欲しくても、一滴も飲めずに一人で死んでいったんじゃないかと思うと、何年たっても辛い。だから、戦争はどんなことがあっても絶対ダメなんです》太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の -
東大入学式の式辞を生んだ上野千鶴子さんの“女性学の原点”
2019/06/17 16:00「私が、物議をかもしては、WANのアクセス数の増加に貢献しております、理事長の上野千鶴子でございます……フェミニズムは、日本の美しい伝統を破壊し、家族を壊し、少子化を推し進めた戦犯と言われまして、私のような“おひとりさま”は生産性のない非国民でございます(笑)」5月18日午後、京都の同志社大学で開催された女性支援のNPOであるWAN(ウィメンズ・アクション・ネットワーク)の創設10周年記念シンポジ -
上野千鶴子さん訴える「令和の時代こそ“うるさい女になって闘え”」
2019/06/17 11:004月の東大入学式での祝辞が、またもや日本中に賛否両論を巻き起こした日本の女性学、ジェンダー研究を牽引してきた第一人者が、新時代の女性の生き方を語る――。「私が、物議をかもしては、WANのアクセス数の増加に貢献しております、理事長の上野千鶴子でございます……フェミニズムは、日本の美しい伝統を破壊し、家族を壊し、少子化を推し進めた戦犯と言われまして、私のような“おひとりさま”は生産性のない非国民でござ -
オーストラリアから来た陛下の“ご学友”が美智子さまに恐縮した日
2019/06/10 16:00「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました」令和元年5月1日。この日、執り行われた「即位後朝見の儀」の生中継を真剣なまなざしで見つめる1人のオーストラリア人男性がいた。「ついに、ついにこのときが来たんですね……」アンドルー・B・アークリーさん(60)。高校2年生のとき、交換留学生としてオーストラリアから来日し、学習院高等科に。そう、彼は陛下の“ご学友”。先月、青春 -
陛下“ご学友”アンドルーさん明かす「御所での焼きそばパーティ」
2019/06/10 11:00「同年代の僕たちが、そろそろ引退を考え始めるときに、陛下は天皇に即位された。それは、とても感慨深いこと。僕ら学友がこれまでそばにいて、話し相手になったり、ときには一緒にお酒を飲んだりバーベキューをしたり。そうした陛下のリラックスした時間をともに過ごしてきたことも、すべては陛下が陛下になる、今日という日を迎えるためだったのかなと。陛下のお姿を見ていたら、そんな思いがこみ上げてきました」令和元年5月1 -
伊藤蘭 41年ぶりの歌手復活「アイドルも育児も私の糧に」
2019/06/03 11:00キャンディーズ解散から41年、これまで女優として活躍してきた伊藤蘭さん(64)が、5月29日にアルバム『My Bouquet』をリリース。ソロ歌手としてデビューした。'78年、後楽園球場の解散コンサートは、女性シンガーで初めてスタジアムで行われたものだった。その後、役者として復帰し、水谷豊さん(66)との結婚後、35歳で出産。育児と仕事の両立に悩みながらもPTA活動も体験した。「何もしないで後悔す -
伊藤蘭ソロデビュー「64歳、挑戦し続けてまだまだ成長中!」
2019/06/03 06:00「あははははっ……」『Let's・微・smilin'』は、伊藤蘭さん(64)の軽やかな笑い声で始まる。蘭さんのソロデビュー・アルバム『My Bouquet』の3曲目だ。「この歌詞を書いてくださった、阿木燿子さんから『蘭さんは、あははっ、うふふと笑っているイメージなのよ』と、言われたんです。私って、おめでたいのかな(笑)とも思ったんですけど、主人(水谷豊さん)にも言われるんです。『蘭さんは、笑ってれ -
馬淵かの子さんが天才・玉井陸斗選手に伝える、東京五輪の乗り越え方
2019/05/25 16:001964年(昭和39年)秋、日本が戦後からの復興を遂げ、世界と肩を並べた証しとして実現させた東京五輪。当時、飛板飛込みの日本選手権を連覇中で、入賞はもちろんメダル第1号の筆頭に挙げられていたのが馬淵(旧姓・津谷)かの子さん(81)だった。「東京五輪では、『メダリストになろう』、つまり3位までに入ろうと。下馬評でも『3位は間違いない』と言われていました。“前飛び”という目をつぶっていても飛べるような -
64年東京五輪に出場 馬淵かの子さんが36歳まで現役続けた理由
2019/05/25 11:00「馬淵かの子さ~ん!」場内アナウンスで、その名が呼ばれた瞬間、会場の代々木競技場プール全体に、熱気を帯びた大観衆の歓声が、グワングワンと地鳴りのように響きわたった。1964年(昭和39年)秋、日本が戦後からの復興を遂げ、世界と肩を並べた証しとして実現させた東京五輪。「ガンバレ!」「頼んだぞ、金メダル!」当時、飛板飛込みの日本選手権を連覇中で、入賞はもちろんメダル第1号の筆頭に挙げられていたのが馬淵 -
「日本の介護は世界一!」学びに来る外国人技能実習生たち
2019/05/18 16:00「ハイ、○○さん、ジュースですよ、おくち、あけてください」名古屋市港区にある特別養護老人ホーム「港寿楽苑」。技能実習生・馬招平さん(30)は、まだ少したどたどしい日本語で、懸命に利用者の女性に声をかけている。「オイシーですか?」誤嚥防止のとろみがつけられたジュースをスプーンですくっては、女性ののみ込むスピードを見計らいながら、慎重に口元に運ぶ。笑顔を絶やさない馬さんに、介助を受ける80代女性の顔に -
日本が好き、だから頑張れる!外国人技能実習生「介護の現場」
2019/05/18 11:00名古屋市港区にある特別養護老人ホーム「港寿楽苑」。技能実習生・馬招平さん(30)は、まだ少したどたどしい日本語で、懸命に利用者の女性に声をかけている。「ハイ、○○さん、ジュースですよ、おくち、あけてください」誤嚥防止のとろみがつけられたジュースをスプーンですくっては、女性ののみ込むスピードを見計らいながら、慎重に口元に運ぶ。笑顔を絶やさない馬さんに、介助を受ける80代女性の顔にも、自然と笑みがこぼ -
水谷豊「映画『轢き逃げ』では被害者と加害者の両方を描きました」
2019/05/09 16:00「俳優がね、名前があるからという理由で監督をやるチャンスはあるかもしれない。だけど、それが1回だけで終わると、ずっと監督をやってきた人たち、監督を目指している人たちに、失礼な気がしていたんですね。だから、監督をやるなら1作だけでなく、その先も監督として映画に向かっていける覚悟ができたときにしようとずっと思っていました。やらないでくださいと言われれば別ですけど(笑)、もしチャンスがあったら、必ず次回 -
監督映画『轢き逃げ』公開!水谷豊が作品に込めた娘への想い
2019/05/09 11:00水谷豊さん(66)が監督・脚本を務めた映画『轢き逃げ-最高の最悪な日-』(配給:東映)が5月10日からロードショー公開。監督作品は、'17年公開『TAP-THE LAST SHOW-』に続く2作目となる。前作はけがで引退を余儀なくされた元タップダンサーが、閉館する劇場のために、若手ダンサーを育成して最後の公演に挑むというエンタテインメント作。2作目にはサスペンスというまったく毛色の違う作品を選んだ -
「気づいたら朝に」水谷豊監督が語る映画『轢き逃げ』誕生秘話
2019/05/09 06:00「脚本を書いていると、途中で、『さぁ、この先この物語はどっち方面に行くんだろう、行ったらいいんだろう』と思うことがあります。そうなってきたら、ちょっとお茶でも入れて、一度脚本から離れて、音楽を聴いたり……。そんなことをしていると、『そうだ、そうだ』と、次の展開が出てくるんですよねぇ。こうやって家で脚本を書いていると、気がついたときには朝になっているなんてこともあります」水谷豊さん(66)が監督・脚 -
死刑確定から10年…林眞須美の長男、結婚を前に母へ思い巡らす
2019/04/25 06:00'98年7月25日。和歌山市園部地区で夏祭が行われ、住民らが協力して作ったカレーを口にした67人が激しい嘔吐や腹痛に襲われ、救急車で病院に搬送。小学生男児を含む4人が死亡した「和歌山毒物カレー事件」。やがて疑惑の中心に据えられたのが、近所に住む元保険外交員で4人の子どもを育てる主婦である林眞須美死刑囚(57)だった。また、夫の林健治さん(72)が元シロアリ駆除業者で、ヒ素を入手できる立場にいたこと -
林眞須美死刑囚の長男「母を見殺しにして幸せになれるか」
2019/04/25 06:00「事件から離れて、自由に生きなさい」とは、母心ゆえの言葉だっただろう。だが長男は「そう簡単にはいかないんだよ」。確定死刑囚の母を持つ自分と結婚の約束をした女性もいた。姓を変え、獄中の母を見殺しにして、本当の幸せはつかめるのか。破談になったあとも、長男は「答え」を出せていない――。'98年7月25日。和歌山市園部地区で夏祭が行われ、住民らが協力して作ったカレーを口にした67人が激しい嘔吐や腹痛に襲わ -
柄本明「息子・佑の反抗期を救ったのは映画だった」
2019/04/22 11:00映画の話になると、会話が止まらなくなる役者家族。家族の危機を救うのも映画だった。柄本明さん(70)がロケで家を空けることが多かった時期、長男の佑さん(32)が中学2年生で反抗期になり、妻の故・角替和枝さん(享年64)が手を焼いた。しかし、オーディションに受かって初主演した佑はロケの厳しさで“更生”して帰ってきたのだ。その後、次男の時生(29)も後を追って俳優に。年間500本の映画を見る長女は映画製 -
柄本明 息子・佑と時生へ「難しいことをやらないと、つまらない」
2019/04/22 06:00東京・世田谷のアトリエ乾電池の舞台後方の黒い壁、やや右寄りに、美術スタッフが1本、垂直に線を描く。「そこから右に1本。左も……」指示しているのは、演出を務める柄本明さん(70)だ。幹と2本の枝しかないシンプル極まりない木が現れた。そこにテロップが入る。《舞台は1本の木から始まる》ドキュメンタリー映画『柄本家のゴドー』(4月20日、東京・渋谷ユーロスペースにて公開)の冒頭シーンだ。カメラは'17年1 -
宮沢和史「『島唄』で伝え続ける平和の魂」
2019/04/14 06:00「二度と、この島に戦争がないように。人々が殺し合うことのないように。そんな願いを込めて26年前に作ったのが『島唄』です。これからも平和の夕なぎが永遠に続くことを願って今日も歌います」沖縄県立南部農林高等学校(豊見城市)の体育館に3月20日、『島唄』が響き渡った。歌っているのは、元THE BOOMのボーカルで音楽家の宮沢和史さん(53)。宮沢さんが弾く三線と歌に合わせて、子どもたちが沖縄の伝統芸能エ -
宮沢和史「苦労した日系移民の力になる歌を」
2019/04/13 06:00'93年に140万枚を超える大ヒットを記録したTHE BOOMの『島唄』。宮沢和史さん(53)は戦争の悲劇を繰り返さないでほしいというメッセージを歌詞に込めた。その歌声は海を越えて沖縄出身の日系人が多い南米でもヒット。宮沢さんは、ボロボロになりながらも見知らぬ土地を開拓し、尊敬を勝ち得ていった日系人の魂を癒すために、かの地で歌い続けてきた――。宮沢さんは'66年、山梨県甲府市生まれ。沖縄出身ではな -
84歳皇室ジャーナリストが明かす 美智子さまが懇談でお見せになった微笑み
2019/04/05 16:00「あのパレード中継に携わったことで、この先も美智子さまにこだわり続ける予感はありましたね」'59年4月10日午後2時30分に始まった、皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレード。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のり。沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。当時、渡邉みどりさん(84)は -
皇室ジャーナリスト・渡邉みどりさん 美智子さまとの“出会い”は20歳
2019/04/05 16:00前日の雨もやみ。青空の下、柔らかな春の日差しが降り注ぐなか、6頭立ての馬車が、皇居二重橋から滑るように現れた。'59年4月10日午後2時30分。皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレードが始まった。沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のりだ。そのとき