シリーズ人間の最新ニュース
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ジブリで学んだ“宮崎駿のリアル”『なつぞら』スタッフが明かす
2019/08/16 06:00東京の中央線西荻窪駅から徒歩3分。信用金庫のビルの4階に「ササユリカフェ」はある。店内のテーブルには、放送中のNHK連続テレビ小説『なつぞら』(月〜土)の台本がうずたかく積まれている。この店のオーナー・舘野仁美さん(58)は、『なつぞら』のアニメーション監修だ。朝ドラ100本目の本作は、戦災孤児の奥原なつ(広瀬すず)が、北海道の酪農一家に愛情深く育てられ、やがてアニメーターを目指して上京。日本アニ -
端役人生70年!俳優・加藤茂雄さんと巨匠・黒澤明監督との絆
2019/08/05 11:0070年ものキャリアを誇る俳優・加藤茂雄さん(94)。しかし、その名を聞いても、多くの読者はピンとこないことだろう。それもそのはずで、加藤さんは決してスターではない。いわゆる「大部屋俳優」の1人だ。戦後、日本映画が隆盛を極めた時代。加藤さんは東宝の専属として数多の名作に出演してきた。専属を解かれて以降は、テレビドラマにも活躍の場を広げた。これまでに演じた役は、優に千を超す。とはいえ、そのほとんどはセ -
端役人生70年、加藤茂雄さん「僕の俳優人生は黒澤明監督のおかげ」
2019/08/05 11:00「こんなに大勢の人が見に来てくれるなんて、本当にびっくりだよ」うれしそうに白い歯をのぞかせてはいたものの、思いもよらぬ“大入り”に、ベテラン俳優はどこか、たじろいでいるようにも見えた。6月1日、梅雨入り間近の神奈川県鎌倉市。材木座海岸にほど近い光明寺には、いつにも増して多くの人が集まっていた。人々の目当ては、地元・鎌倉が舞台の新作映画。やはり地元出身で、この寺にも縁のある俳優が主演をつとめ、この日 -
父からの性虐待、母が全力で守ってくれたら――
2019/07/29 11:00「被害を誰かに打ち明けたときに、『抵抗できたはず』『どうして周りに相談しなかったの?』などと言われると、〈私が悪かったんだ〉と、自分を責め続けてしまいます。そのことは、親から性虐待を受けたという事実以上に、被害者を苦しめます」そう話す宮本ゆかりさん(49)。香川県高松市在住の宮本さんは4歳から中学2年生まで、実父から“性虐待”を受けていた。自分と同じような被害者を出したくない。そんな思いから、'1 -
父から受けた性虐待体験をもとに被害者を救う!
2019/07/29 11:00父から受けた性虐待の、もっとも古い記憶は4歳当時のもの。中学の保健体育の授業で初めて、父から子どもをつくる行為をされていたと知った宮本ゆかりさん(49)。父だけではなく、幼い娘が抵抗できないのを見て見ぬふりをしてきた母の態度が、性虐待が終わった後も宮本さんを苦しめ続けた。家庭の外では言い出しにくい性被害。宮本さんは、ブログで自分の経験をさらけ出しながら、自分と同じ性虐待に苦しむ被害者を救おうと動き -
チャゲ語る「チャゲアス再開に向け、声も体も鍛えてる」
2019/07/16 11:00「このくらいのキャパだと全員の顔が見られます。チャゲアス時代は1万人クラスの大きい会場だったから、ファンとこんなに近くで触れ合えるのは、うれしいですよ」4月某日、都内にある多目的ホールで行われたチャゲのファンミーティング。ステージ上のチャゲ(61)は終始、満面の笑みだった。写真撮影に始まり、チャゲとのデュエットやハグ、ツーショット権がもらえるゲームコーナーへと続く。熱い交流の後は、アコースティック -
チャゲが語るデビュー40年「もう一度、ASKAと一緒に歌を!」
2019/07/16 11:00'09年の無期限活動休止から10年。ASKA(61)は「チャゲアス」の解散を要求し続けているという。しかしチャゲ(61)には二人でステージに立たなければならない理由があった。ASKAの薬物使用で中止になった活動再開と、チャゲアスの“聖地”と呼ばれた代々木体育館でのライブを実現したい。もう一度原点に返ってやり直せれば――。「自分のなかで解散は考えたことはありません。CHAGE and ASKAは俺の -
渡辺美佐子 反戦朗読劇の原点は、原爆で奪われた“初恋の人”
2019/07/08 16:00真っ赤なほっぺに、ぱっちりした目のかわいらしい男の子は、爆心地にいた。遺体、遺品はおろか、最期を目撃した者さえいなかった。渡辺さんはその初恋の人への思いを胸に、34年間、原爆の朗読劇を続けてきた。それも今年で最後になる――。6月24日の東京・日本橋劇場。朗読劇『夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ一九四五年』が今年も幕を開けた。朗読劇の端緒は1985年、戦後40年という節目の年のこと。演出家の木村 -
渡辺美佐子 朗読劇を続け34年、子どもたちに語り継ぐ「私の原爆」
2019/07/08 11:00灼熱の爆風に体を焼かれ、がれきの下敷きとなって息絶えていった子どもたち。短い人生の最後、子どもらが残した思いの丈を、女優たちはその身に引き受けるように、静かに語り、ときには呻きまた、ときには叫ぶ。短くも重たい惜別の言葉の数々が、言霊となって見る者の胸に迫る――。6月24日の東京・日本橋劇場。朗読劇『夏の雲は忘れない ヒロシマ・ナガサキ一九四五年』が今年も幕を開けた。朗読劇の端緒は1985年、戦後4 -
深刻事態のあとに笑いが―阿川佐和子&ヤマザキマリ「母娘介護対談」
2019/06/30 06:00阿川佐和子(65・以下、阿川)「うちはいま、認知症の母(91)をきょうだいとお手伝いの方とローテーションを組んで、在宅介護しています。その合間にショートステイで外泊サービスを利用しているんです」ヤマザキマリ(52・以下、マリ)「私の母(86)は北海道の実家の近くに住む妹が、在宅介護をサポートしてくれていました。それが、認知症に加え、パーキンソン病も併発して……。足元がおぼつかなくなり、今年1月、部 -
阿川佐和子とヤマザキマリが語る 認知症母にやさしくなれるまで
2019/06/29 06:00「お互い、もう介護される年齢に近づいているわね」という話から始まった“認知症介護対談”。年を重ね歴史のある母娘でも、母が認知症になればその関係は変わってくる。いままで見せなかった弱さを見せるようになったヤマザキマリさん(52)の母は、これまで着ていた鎧を脱いで穏やかに。阿川佐和子さん(65)の母は家族のかせから逃れて、自由になった。母娘が向き合って、その距離がぐっと近くなった介護の時間はとても豊か -
元ひめゆり学徒・島袋淑子さん「“戦争は絶対ダメ”と言えるように」
2019/06/24 16:00太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。その学徒たちの遺品や資料を集めた『ひめゆり平和祈念資料館』は、いまから30年前の'89年に設立された。全国でも珍しい、戦争関連の民間による博物館だ。《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『 -
「両陛下『平和への祈り』を風化させない」…元ひめゆり学徒の決意
2019/06/24 11:00《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『生きるも死ぬも一緒よ』と言っていたのに……。水が欲しくても、一滴も飲めずに一人で死んでいったんじゃないかと思うと、何年たっても辛い。だから、戦争はどんなことがあっても絶対ダメなんです》太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の -
東大入学式の式辞を生んだ上野千鶴子さんの“女性学の原点”
2019/06/17 16:00「私が、物議をかもしては、WANのアクセス数の増加に貢献しております、理事長の上野千鶴子でございます……フェミニズムは、日本の美しい伝統を破壊し、家族を壊し、少子化を推し進めた戦犯と言われまして、私のような“おひとりさま”は生産性のない非国民でございます(笑)」5月18日午後、京都の同志社大学で開催された女性支援のNPOであるWAN(ウィメンズ・アクション・ネットワーク)の創設10周年記念シンポジ -
上野千鶴子さん訴える「令和の時代こそ“うるさい女になって闘え”」
2019/06/17 11:004月の東大入学式での祝辞が、またもや日本中に賛否両論を巻き起こした日本の女性学、ジェンダー研究を牽引してきた第一人者が、新時代の女性の生き方を語る――。「私が、物議をかもしては、WANのアクセス数の増加に貢献しております、理事長の上野千鶴子でございます……フェミニズムは、日本の美しい伝統を破壊し、家族を壊し、少子化を推し進めた戦犯と言われまして、私のような“おひとりさま”は生産性のない非国民でござ -
オーストラリアから来た陛下の“ご学友”が美智子さまに恐縮した日
2019/06/10 16:00「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました」令和元年5月1日。この日、執り行われた「即位後朝見の儀」の生中継を真剣なまなざしで見つめる1人のオーストラリア人男性がいた。「ついに、ついにこのときが来たんですね……」アンドルー・B・アークリーさん(60)。高校2年生のとき、交換留学生としてオーストラリアから来日し、学習院高等科に。そう、彼は陛下の“ご学友”。先月、青春 -
陛下“ご学友”アンドルーさん明かす「御所での焼きそばパーティ」
2019/06/10 11:00「同年代の僕たちが、そろそろ引退を考え始めるときに、陛下は天皇に即位された。それは、とても感慨深いこと。僕ら学友がこれまでそばにいて、話し相手になったり、ときには一緒にお酒を飲んだりバーベキューをしたり。そうした陛下のリラックスした時間をともに過ごしてきたことも、すべては陛下が陛下になる、今日という日を迎えるためだったのかなと。陛下のお姿を見ていたら、そんな思いがこみ上げてきました」令和元年5月1 -
伊藤蘭 41年ぶりの歌手復活「アイドルも育児も私の糧に」
2019/06/03 11:00キャンディーズ解散から41年、これまで女優として活躍してきた伊藤蘭さん(64)が、5月29日にアルバム『My Bouquet』をリリース。ソロ歌手としてデビューした。'78年、後楽園球場の解散コンサートは、女性シンガーで初めてスタジアムで行われたものだった。その後、役者として復帰し、水谷豊さん(66)との結婚後、35歳で出産。育児と仕事の両立に悩みながらもPTA活動も体験した。「何もしないで後悔す -
伊藤蘭ソロデビュー「64歳、挑戦し続けてまだまだ成長中!」
2019/06/03 06:00「あははははっ……」『Let's・微・smilin'』は、伊藤蘭さん(64)の軽やかな笑い声で始まる。蘭さんのソロデビュー・アルバム『My Bouquet』の3曲目だ。「この歌詞を書いてくださった、阿木燿子さんから『蘭さんは、あははっ、うふふと笑っているイメージなのよ』と、言われたんです。私って、おめでたいのかな(笑)とも思ったんですけど、主人(水谷豊さん)にも言われるんです。『蘭さんは、笑ってれ -
馬淵かの子さんが天才・玉井陸斗選手に伝える、東京五輪の乗り越え方
2019/05/25 16:001964年(昭和39年)秋、日本が戦後からの復興を遂げ、世界と肩を並べた証しとして実現させた東京五輪。当時、飛板飛込みの日本選手権を連覇中で、入賞はもちろんメダル第1号の筆頭に挙げられていたのが馬淵(旧姓・津谷)かの子さん(81)だった。「東京五輪では、『メダリストになろう』、つまり3位までに入ろうと。下馬評でも『3位は間違いない』と言われていました。“前飛び”という目をつぶっていても飛べるような -
64年東京五輪に出場 馬淵かの子さんが36歳まで現役続けた理由
2019/05/25 11:00「馬淵かの子さ~ん!」場内アナウンスで、その名が呼ばれた瞬間、会場の代々木競技場プール全体に、熱気を帯びた大観衆の歓声が、グワングワンと地鳴りのように響きわたった。1964年(昭和39年)秋、日本が戦後からの復興を遂げ、世界と肩を並べた証しとして実現させた東京五輪。「ガンバレ!」「頼んだぞ、金メダル!」当時、飛板飛込みの日本選手権を連覇中で、入賞はもちろんメダル第1号の筆頭に挙げられていたのが馬淵 -
「日本の介護は世界一!」学びに来る外国人技能実習生たち
2019/05/18 16:00「ハイ、○○さん、ジュースですよ、おくち、あけてください」名古屋市港区にある特別養護老人ホーム「港寿楽苑」。技能実習生・馬招平さん(30)は、まだ少したどたどしい日本語で、懸命に利用者の女性に声をかけている。「オイシーですか?」誤嚥防止のとろみがつけられたジュースをスプーンですくっては、女性ののみ込むスピードを見計らいながら、慎重に口元に運ぶ。笑顔を絶やさない馬さんに、介助を受ける80代女性の顔に -
日本が好き、だから頑張れる!外国人技能実習生「介護の現場」
2019/05/18 11:00名古屋市港区にある特別養護老人ホーム「港寿楽苑」。技能実習生・馬招平さん(30)は、まだ少したどたどしい日本語で、懸命に利用者の女性に声をかけている。「ハイ、○○さん、ジュースですよ、おくち、あけてください」誤嚥防止のとろみがつけられたジュースをスプーンですくっては、女性ののみ込むスピードを見計らいながら、慎重に口元に運ぶ。笑顔を絶やさない馬さんに、介助を受ける80代女性の顔にも、自然と笑みがこぼ -
水谷豊「映画『轢き逃げ』では被害者と加害者の両方を描きました」
2019/05/09 16:00「俳優がね、名前があるからという理由で監督をやるチャンスはあるかもしれない。だけど、それが1回だけで終わると、ずっと監督をやってきた人たち、監督を目指している人たちに、失礼な気がしていたんですね。だから、監督をやるなら1作だけでなく、その先も監督として映画に向かっていける覚悟ができたときにしようとずっと思っていました。やらないでくださいと言われれば別ですけど(笑)、もしチャンスがあったら、必ず次回 -
監督映画『轢き逃げ』公開!水谷豊が作品に込めた娘への想い
2019/05/09 11:00水谷豊さん(66)が監督・脚本を務めた映画『轢き逃げ-最高の最悪な日-』(配給:東映)が5月10日からロードショー公開。監督作品は、'17年公開『TAP-THE LAST SHOW-』に続く2作目となる。前作はけがで引退を余儀なくされた元タップダンサーが、閉館する劇場のために、若手ダンサーを育成して最後の公演に挑むというエンタテインメント作。2作目にはサスペンスというまったく毛色の違う作品を選んだ