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(写真・神奈川新聞社)

 

犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案。戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で逮捕された被害者の遺族らは、拡大解釈や法改正を重ねて市民の弾圧に利用された戦前戦中の治安維持法にダブらせ、訴える。「もの言えぬ社会に逆戻りさせてはいけない」

 

■「超監視社会」に危機感

 

「(特高の刑事が)堂々と言うんです。『お前たちをここで殺してもいいんだぞ。天皇陛下の命令だ』と。まさに拷問で殺されそうになった。こんなむちゃくちゃな時代を想像できますか」

 

1990年に制作されたドキュメンタリー映画「横浜事件を生きて」の一場面。事件の当事者で元雑誌編集者、木村亨さん(故人)が拳を振り上げ訴える。

 

映画は木村さんを主人公に、戦争に批判的な知識人らを取り締まるため、警察が事件を作り上げていく過程を当事者の生々しい証言で描く。「共謀罪」法案が国会で審議入りして以降、ここに来て全国で上映の動きが広がっている。

 

当時、取材を担当した「ビデオプレス」(東京)の松原明さん(66)は、脳裏に焼き付いていることがある。拷問による取り調べをしたとして、戦後に実刑判決(サンフランシスコ講和条約発効に伴う恩赦で免除)を受けた元特高刑事らと電話でやりとりをした場面だ。

 

「昔の話だから、みんな忘れました」「法治国家ですから。拷問とかは全然ございません」-。こともなげに言い切る姿に、「多くの被害者の人生を翻弄(ほんろう)し狂わせたにもかかわらず、彼らは法律に従っただけという認識だった。反省も後悔もしていなかったことに驚いた」。

 

治安維持法は25年に共産党関係者を摘発する目的で公布された。政府は当初、「善良な国民に何ら刺激を与えるものではない」(司法相)と強調。だが、実際には市民の思想・言論弾圧に利用され、拷問が繰り返された。

 

事件から70年以上過ぎた今、松原さんは共謀罪に治安維持法と似た匂いを嗅ぎ取る。「当局に監視されるだけではない。市民同士が密告し合う『超監視社会』が来ることにならないか」。危機感は募る一方だ。

 

■「過去の出来事でない」

 

「目配せしたり相談したりするだけで、警察の判断で摘発されかねない。誰にとってもひとごとではない」。木村さんの妻まきさん(68)=東京都清瀬市=も法案に反対する。横浜事件の国家賠償を求める控訴審を続けており、事件は今も影を落とす。

 

治安維持法違反容疑で逮捕され2年余り拘束された夫は、亡くなるまでに約80冊の日記を残した。その中に「拷問を受ける夢を見て、目が覚めた」という記述を見つけた。夫から直接聞いた記憶はなく、時を経ても癒えることのない心の傷の深さを見た気がした。

 

まきさんは集会などで「横浜事件は決して過去の出来事ではない。今の社会で起きていることを考える『生きた教材』として見てほしい」と訴える。

 

他人任せにせず、主権者である市民一人一人が声を上げ、同じ過ちを二度と繰り返してはいけない-。人生を狂わされ、苦しみ続けた夫を間近に見続けた者として、そう切望するからだ。

 

14日、政府が国会会期中の成立を目指す「共謀罪」法案の審議は最大のヤマ場を迎え、採決を巡って与野党間でぎりぎりの攻防が続いた。

 

それでも、とまきさんは力を込める。「もの言えぬ社会に逆戻りさせてはいけない。絶望せず、これからも反対の声を上げ続けていく」

 

【横浜事件】

1942~45年、雑誌編集者や新聞記者ら60人以上が、共産主義活動をしたとして県警察部特高課(当時)に治安維持法違反容疑で逮捕された。警察は富山県の旅館での出版記念会を共産党再建準備会と決めつけた。拷問で4人が獄死、30人以上が起訴され、大半が戦後に有罪判決を受けた。名誉回復を求める元被告や遺族らは86年以降、4度にわたって再審を請求。2005年と08年に再審開始が決まり、再審公判では08年と09年に免訴判決が確定した。遺族は刑事補償請求も行い、刑事補償金が支払われた。

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