’98年10月に逮捕されてから、接見解除になるまで約7年。
利勝さんは高校3年生、幸子さんは小学校5年生になっていた。

7年ぶりだったので、他人と会うような感覚でしたね。
だからお母さんという感じがしなかった。
再会したときは敬語でしたから(笑)、お母さんは僕らの顔を見た瞬間に泣いてましたね。僕は涙を堪えました。ただ、震えが止まりませんでしたね。待合室の時点から、ずっと震えてました。
そのときは、お母さんがやったのか、やっていないのか。事実を知ることが恐いというのがあったと思います。
面会は10分ぐらいでしたが、その間お母さんは僕らに謝ってばかりで会話になりませんでしたね。それ以外は沈黙してました。
その後頻繁に会いにいくようになりました。最近は、月2回ぐらいは行ってます」(利勝さん)

両親の逮捕当時4歳で、眞須美被告の顔は写真でしか知らない幸子さんは、“初めて会った人”という感じを持ったそうだ。

これがお母さんかぁと思った。何を話していいのか、お互い戸惑っていましたね。
お母さんはずっと、私の名前を繰り返し、繰り返し叫んでいるといった感じでした。
いじめにあってないか?とか、私のことをとても心配してましたね。
それから徐々にですが、手紙のやり取りや面会を重ねるうちに、どんどん打ち解けていきました。
面会するときはほとんど事件の話はしません」(幸子さん)

最初に会ったときは『ママ』」と呼んでいが、いまは『お母さん』と呼ぶようになったそうだ。

続きは明日シリーズ人間【林眞須美和歌山カレー事件・林家の10年毎日更新

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