’15年は宝くじが誕生して70周年。その間には数々の伝説が生まれているが、なかでもこれは! という驚きの伝説を紹介しよう。
《特等が都内1等地の一戸建て住宅だったことがある!》
昭和20年代は賞金のほか、豪華賞品がつくものが多かった。昭和23(’48)年10月に発売された、第5回東京都復興宝くじ。賞金と別の抽せんで決める賞品の特等は、12坪の住宅1棟。しかも港区南麻布の約130平方メートルの土地付きだった。住宅が賞品の地方くじは各地で発売されたが、現在の地価でみると、この東京都くじに勝るものはなかったようだ。
《「当せん金で更生しなさい」と、窃盗罪が不起訴になった当せん者がいる!》
大阪府のAさん(当時36)は、昭和30(’55)年10月の近畿くじで2等100万円を当てた。ところが、当せんを知ったその日に窃盗の容疑で逮捕されてしまう。4カ月前、生活に困り金属店で窃盗を働いていたのだ。逮捕後、取り調べに当たった大阪地検は、その後のAさんが犯行を反省してまじめに働いており、また当せん金があれば十分に更生が可能と判断。不起訴処分としたという。昭和ならではのエピソード。
《拾ったくじが高額当せん券だった!》
昭和34(’59)年8月、小田急線の新宿駅構内で、小田原市に住む40歳の女性が1枚の宝くじを拾った。バッグに入れたまま忘れてしまい、当せん確認をしたのは20日後のこと。調べると、東京都くじ1等200万円の大当たり券で、彼女はすぐに警察へ届けた。落とし主が現れなかったとき、遺失物法では、拾った場所が駅構内の場合、小田急が拾得者とみなされるといい、当時の新聞は「正直者が馬鹿を見る」と書き立てた。6カ月後、落とし主は現れず、関係者が相談した結果、届け出た女性に200万円は渡ることになった。
《宝くじの自動販売機があった!》
昭和56(’81)年、神戸の都市博覧会「ポートピア81」に開設された宝くじ館の中に、宝くじの自動販売機が登場。千円札を入れると、1枚100円の近畿くじ10枚(連番)が出てくる仕組み。ドリンクの自販機などが普及し始めたころで、ついに宝くじもか、と注目されたが、結局、普及することはなかった。
《当せん番号「111111」が出た!》
昭和63(’88)年8月、大阪ドリーム館で開かれた近畿くじの抽せん会。1等1千万円の当せん番号が出た瞬間、会場がどよめいた。「09組111111」だったからだ。この当たりくじを販売したのは現在の大阪市「なんばLUCKYショップ」。当時を知る販売員は言う。「みなさん『こんなの出ないよ』と嫌う番号でしたので、覚えています。買ったのは古くからの常連の男性で、道に車を停めて、急いで買いにきたんです。本人も変な番号と気づいたんですが『ま、ええか』と」