「夫から『ノーベル賞を獲ったよ』と電話が来たとき『ああ、またウソかな』と思いました。夫はいつも私をだますんですよ。だから初めは『私を驚かせて喜んでいるのかな』と思ったんです。だってあの人、ちょっと子どもっぽいじゃないですか」
そう微笑むのは、大隅良典東京工業大学栄誉教授(71)の妻・萬里子さん(69)だ。細胞が不要なタンパク質などを分解して栄養源に再利用する「オートファジー」という仕組みの解明により、ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅さん。パーキンソン病やアルツハイマー病治療への活用も期待されている世紀の大発見だ。受賞翌日の10月4日に妻の萬里子さんとそろって記者会見を開いた大隅さんは、こう答えていた。
「2人の息子の育児にどれくらい関わったかと聞かれると、所在ない思いです。主婦と仕事をずっと続けていたので、よく働いてくれたと感謝しています」
もともと同じ東大大学院の先輩後輩だった2人。告白もなく、いつの間にか交際。デートも実験中のおしゃべりだけだった。結婚は71年3月。互いに大学院生の学生結婚だった。そのため、新婚生活は金銭的にも困窮を極めたという。萬里子さんが当時をこう振り返る。
「プロポーズもありませんし、お金もなかったので新婚旅行もなし。結婚式も新宿駅上の貸しホールに家族や友人たち30人ほどを呼んで、会費制で行いました。当時、夫は東京大学に籍を置きながら京都大学で研究をしていたんです。そのため結婚式が終わると、そのまま2人でリュックを背負って京都へ。中身は洋服もなくて、本当に研究道具だけでした」
生活費は2人の奨学金とバイト代、それに両親からのささやかな援助のみだった。
「奨学金が1人2万2千円で2人合わせて4万4千円。夫が家庭教師のアルバイトをしていて、そのバイト代が2万円ほど。夫の両親が少し援助してくれていましたが、金銭的には厳しかったですね。そのため京都では家賃2万円の六畳一間に住んでいました。そうしたら、すぐに子どもができて。ドクター(博士号)の資格を取らないと収入はないので、食べて行けない。だから私は大学の研究をやめて、民間の研究所に勤めることにしました」
なんとか働き口が見つかったため、2人は東京へ。夫はそのまま東京大学の大学院で研究を続け、萬里子さんは出産から2カ月で働き始めたという。
「あの時代に子育てをしながら仕事もする女性は少なかったので、会社も最初はすごく警戒していました。よく雇ってくれたと思いますが、その研究所は当時としては珍しく男女を区別しない職場だったんです。仕事のかたわら、家事や育児も私がやりました。夫は洗濯物を干すくらいはしてくれていましたが、何しろまだ学生ですから。私に“夫の夢を支えたい”なんて思いはなくて、ただ子供と家族3人食べていくのに必死だったんです(笑)」
萬里子さんはそう笑うが、結果的に彼女の奮闘が夫の研究を支えてきたと言えるだろう。なぜ、そこまで夫を支え続けることができたのか。
「私たちはちょっと似ているんだと思います。たとえば普通は『世の中のルールがこうだから、自分たちもこうする』となるのかもしれません。でも私たちは『自分たちがこうしたいから、こう生きていく』と思うんです。大隅がいつまでも元気で研究を続けてくれること。それが私の願いですね――」
最後にそう語った萬里子さん。そこには、45年間支え合った夫婦の絆があった。