認知症は、厚生労働省のデータによると、65〜69歳までの有病率は1.5%だが、5歳ごとに倍増。85歳の有病率は27%にものぼるといわれる。長寿化する日本においては、がんと並ぶ“国民病”ともいえるほど身近な病だ。しかしーー。
「がんの予防・検診・治療などは日進月歩ですが、認知症は進行を遅らせるという薬が4つあるものの、まだ効き目が弱く、画期的な治療薬も開発されていません」
認知症治療の現状を解説するのは、米国ハーバード大学元研究員で、老化や疫学の研究に従事したボストン在住の内科医・大西睦子さんだ。
年始には大手製薬メーカーであるファイザー社が認知症薬の開発から一時撤退することを表明するなど、認知症の研究において暗いニュースもあった。
しかし、最近、認知症治療が可能になるような、新しい研究が続々発表されている。
「3月に掲載されたイギリスの『テレグラフ』誌の記事によると、アルツハイマー病に関して50歳以上の者が接種できるワクチンが、10年以内に開発可能だと報じています。ワクチンはアルツハイマー病の約70%を予防することができると予想していますが、こうしたワクチン開発と同時進行で、世界中の研究者は日々、認知症と闘っています」
ほかにも今年に入ってから、認知症の治療を目指す夢の治療法の研究が進んでいる。その最前線を、大西さんが解説してくれた。まず、知っておきたい基礎知識が、認知症の原因だ。
「現在のところ、認知症の約7割を占めるアルツハイマー型の特徴は、アミロイドβによる老人斑とタウタンパク質による神経原線維の変化です。これらが徐々に蓄積して集合体になって、神経細胞を傷つけたり死滅させて起こるといわれています」
■糖尿病の薬に脳の若返り効果が!
英国ランカスター大学のクリスチャン・ホルシャー教授が、1月2日付の同学内ニュースに「アルツハイマー病などの慢性神経変性疾患の、新たな治療法に発展する」と発表した。それは、2型糖尿病治療のために開発された薬の利用だ。
「新薬を開発する発想ではなく、他の病気の治療薬が、アルツハイマー病にも効くのではないかと、アプローチした研究です」
薬を投与する実験の結果、マウスの脳は“若返り”に成功。
「マウスをプールに入れる水迷路試験では、学習と記憶力が大幅に改善されたと報告されています。さらに『神経細胞の機能を保護する脳成長因子のレベルが高まる一方で、アミロイドβ斑、慢性炎症や酸化ストレスが抑えられ、神経細胞の損失率は低くなった』とあります」
実験中のこの薬だが、人への安全性と有効性のデータ蓄積が期待されている。
■脳ペースメーカーで脳機能が回復
「米国有力紙『ニューヨーク・タイムズ』でも取り上げられたのは、米国ペンシルベニア大学で行われている“脳ペースメーカー”とも呼ばれる、新たな治療方法の提案です」
同様の研究は複数の施設で行われているが、大西さんが注目するのは1月30日、オハイオ州立大学医療センターの研究者が発表したレポートだ。
「基本的に心臓ペースメーカーと同じ構造です。異なるのは、電気を通す細いワイヤを心臓ではなく、アルツハイマー型認知症患者の前頭葉に埋め込むこと。前頭葉は、問題を整理したり、計画を立てる役割を果たしていますが脳ペースメーカーによって深部脳刺激(DBS)を与えると、治療していないアルツハイマー病患者に比べて、認知機能と日常機能の低下を遅らせられたとのことです」
実際に3人の研究参加者全員の症状が、改善されているという。米国オハイオ州に住む85歳の女性は、’13年から試験に参加した。当初、食事の準備ができない状態だったが、脳ペースメーカーを埋め込んでから2年後には、簡単な献立を作り、食材を選び、さらに料理をするまでに回復したという。
「研究者たちは、手術をしなくてもいい、非外科的方法を探求したいと考えているそうです」
■臓器移植で使用される薬剤が認知症の進行を遅らせる
臓器移植手術後に使用される免疫抑制剤を、長期間投与している患者は、アルツハイマー型認知症の発症頻度が低いことに目をつけたのは、米国テキサス大学だ。
「日本の医療現場でも使用頻度が高いFK506という薬剤です。レシピエント(提供される人)がもらい受けた臓器を、体内で異物として排除しないために投与されます。免疫力が下がるので感染症対策が重要ですが、認知症患者へは、そうしたリスクを回避できるほどの少量の投与で済むようです。しかも神経細胞を、アミロイドβから保護できる結果となったようです」
現段階ではマウスによる実験だが、既存薬ということもあり、安全性が担保されている。人への応用も可能なはずだ。
重度の認知症患者は24時間のケアが必要となり、家族には介護負担ばかりでなく、経済的負担も一気にのしかかる。そうした老後の不安を取り除くためにも、認知症医療の進展に期待したい。