「45年前、東京女子医科大学を卒業するとき、女子大なのに教授は男性医師ばかりで、少数の女性教授は、大部分が独身でした。出産や育児を我慢して働かなければ、教授などトップを目指すことはできないという雰囲気は、現在も変わっていないと思います」
そう語るのは日本女医会の副会長を務める、スワミチコこどもクリニック(東京都渋谷区広尾)院長の諏訪美智子さん(70)。
東京医科大学で女子受験生の入試点数が意図的に操作され、不合格にされたのは、出産・育児で男性医師と同じように働けない女性医師を、医療現場が敬遠しているためだとみられている。
最近では「女性医師の手術」に言及した男性週刊誌の記事も注目された。
「だから私は、女性医師の割合も高く、育児環境が整った海外に出ようと決意しました」(諏訪さん・以下同)
’73年、東京女子医科大学を首席で卒業した直後から、カナダ、アメリカに渡り国際感覚を身につけた。これまでに60カ国以上の患者を診察している。
「海外に渡ったのは、女性医師が冷遇される日本の大学医局に魅力を感じられなかったからです。医師として独り立ちしたカナダのカルガリーは保守的な土地といわれていますが、それでも女性医師の割合は40%を超えていました」
カナダ人の歯科医と結婚したのは’79年。’80年に長男、’84年に長女を出産。子育て期間に、カルガリーからシカゴへ転居した。
「どちらの国でも、3日に1回は当直がありました。体力的にきつかったですが、分業システムがしっかりしていて、当直の日以外は、5時きっかりに帰宅できる。日本では、夜遅くまで仕事するのが常態化していて、それが女性医師の活躍を阻む一因とも言えますね」
アメリカでは、託児施設も充実していた。
「朝7時から利用できて朝食も提供してくれる。時給1ドルでベビーシッターを引き受けてくれる学生もいました。私が育児と仕事を両立できたのは、こうした子育ての環境が整っていたからです」
’86年、離婚をきっかけに帰国。’92年に現在のクリニックを開業した。
諏訪こどもクリニックの待合室には、日本人患者のなかに、英語の絵本を読みながら順番待ちしている外国人の子どもが交じっている。ワクチンなどのお知らせの貼り紙は、日本語と英語が併記されている。
「ここで開業したのは各国の大使館が近くにあるから。英語の診察ができますし、簡単な問診なら、フランス語やスペイン語、ドイツ語でも対応できます」
日本女医会の副会長を引き受けたのは10年ほど前。国際女医会とのパイプ役となるためだ。
「女性医師の割合が5割を超えるフィンランドの医師たちと話すと、みな“女性は3割”という日本の数字に驚きます。また、東京医科大学の入試問題は世界中の医師から問題視されましたから、今後の動向には注目しています。“世界の女性医師”の声を伝えるのも、私の重要な役目でしょう」
来年は、国際女医会が結成されて100年の節目。ニューヨークの総会では90カ国の女性医師が集まる。
「あらたに幹部役員にも立候補しておりますので、責任を持って活動していきたいと思います」
旧態依然とした男性社会の医療現場で、“変革”に前向きに取り組んでいる諏訪さん。これからますます「女性が働きやすい病院」が増えていくことに期待したい。