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「私が今あえて歌手活動を始めるきっかけになったのは、母と父が相次いで亡くなったことです。母が歌っていたなかには『雨がやんだら』『お別れしましょう』といったヒット曲のほかにも、まだまだ素敵なオリジナル曲がたくさんあるんです。母は亡くなる直前まで自宅で歌い続けていました。母が愛した歌を、皆さんにお伝えしたいと思ったのです。また父も音楽好きで、『いい作品は後世に伝えていきたい』という考えの持ち主でした。その2人の思いを私のなかでミックスし、私なりの歌い方で表現していきたいと……。それが父と母が生きた証しを残すことになると考えています」

 

今年2月、「東京エキゾチカ」の専属歌手として歌手活動を宣言した女優・真由子(44)。母は歌手や女優として活動した朝丘雪路さん(享年82)。そして父は俳優・津川雅彦さん(享年78)。朝丘さんが逝去してから今年4月で1年になる。一周忌を前に両親の思い出を語ってくれた。

 

「私が中学生のときに、父が原因でいじめられたことがありました。なにしろ当時の父は『キング・オブ・ベッドシーン』(笑)。ドラマや映画で数多くの濡れ場や悪役を演じていましたからね。『お前のお父さんはいやらしい』『お父さんは嫌なヤツ』とさんざん言われたものでした。あるときその話を父にしたら、『俺が本当にいやらしいと思うか? 嫌な人間だと思うか?』と。私が「いや、そうは思わないけど」と答えると、『だろう? 皆、いいお客さまじゃないか。だったらお前は「お父さんの演技をそんなに信じてくれて、ありがとう」って、みんなに感謝しなきゃいけないんだぞ』。それからは友達に何か言われるたびに『お父さんの演技を褒めてくれてうれしいよ! ありがとう!』と答えるようにしました。すると、からかわれなくなったんです。父からは『考え方をちょっと変えるだけで、物事は逆転する』ということを教わりました」

 

’13年、真由子は大きな試練を迎える。朝丘さんがアルツハイマー型の認知症と診断されたのだ。

 

「医師からは、こう言われました。『あなたのことを忘れてしまうかもしれません。でも、それは愛情がないからというわけではないので、傷つかないでくださいね』。周囲の人からも介護の苦労を聞いていたので、すごく大変なんだろう、と覚悟していました。でも、もちろん介護をサポートしてくださる人もいたからなのですが、母との最後の日々は私が想像していたものとは違ったのです。皆さんご存じのとおり、母は天然キャラなので、それが少しひどくなったぐらいで、私のことを忘れることもありませんでした。最後の会話でも、『真由子、頑張ってる?』と、以前と同じように声をかけてくれたのです。それに、ときどき踊りの手ぶりを工夫していたり、歌も歌詞を忘れることなく、ずっと歌っていました。母は最期まで女優・朝丘雪路だったのだと思います。私が子どものころは、母と一緒に外出することなどほとんどありませんでした。でも病気になってからは逆に一緒に過ごす時間が増えて、ショッピングや食事だけでなく、温泉など、いろいろなところに行きました。母はあまりそういった場所にいったことがなかったので大喜び。特に水族館ではイルカとふれ合える時間が始まると、『真由子、行こう、行こう!』と、子どものように大はしゃぎでした。姉のような存在だったのが、妹のようになった感じですね。また’15年からは、それまで別居していた父が再び母と暮らし始めることになりました。父が出かけるときは母が見送りに出て、『いってらっしゃい』チュッと。わが家にはお見送りやお迎えの『挨拶』や『お礼』のときに、キスをする習慣があって、それが復活したのです。母は父と暮らすようになって、明るく初々しくなりました。2人にとっては新婚生活に戻ったような感じだったのでしょう。私たち家族は母が他界するまでの数年間で、たくさんの楽しい思い出を作ることができたのです」

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