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国産メガネフレームのシェア95%を占める、福井県鯖江市。その中心にある鯖江駅を出ると、まずは大きな丸メガネのオブジェが出迎えてくれる。

 

地元の老舗料亭「御殿當田屋」には、駅前のメイン通りを歩いて、8分ほどで到着。ちょうどそのころ、若女将の栗田もも乃さん(24)は、グレー地に黄や白の花びら柄がちりばめられた着物に、白地の帯を合わせ、姿見で全身をチェックしていた。

 

「最後にきゅっと帯締めを結ぶと、背筋もピンとするし“さあ、これからお店だ”って、心の準備が整うんです」

 

常連客や友人から“ももちゃん”と親しみを込めて呼ばれ、愛らしい笑顔が印象的だが、和装をすると女将の貫禄が加わる。

 

「着物はほぼすべて母(佳子さん・享年46)の形見。サイズが一緒だから、わざわざ仕立て直さなくてもいいんです。今日の『LOVE』の文字がデザインされた帯は、母のお気に入りでした」

 

心を尽くして、愛を持っておもてなしをするーー。これが母の教えなのだ。着付けを終えたももちゃんは、厨房に向かい明日のテークアウトのお弁当について板前の父・伸彦さん(46)、おじいちゃんの健治さん(83)と軽く打ち合わせ。予約客の名前が書かれたホワイトボードを見て、お客さんの顔を思い浮かべながら、料亭の細部を確認する。そしてお客さんが来訪すると、家紋である橘が白く染め抜かれた朱色の大きなのれんをくぐり、三つ指をついて迎え入れる。

 

「古くからの常連さんは、娘、孫のようにかわいがってくださいます。本当に、お客さまに育てられていると思います」

 

料亭が地域に支えられているということもあり、鯖江の活性化、まちづくりに貢献したくて、高等専門学校(以下・高専)時代の14年、鯖江市役所に新設されたJK課に参加した。“JK”という言葉に嫌悪感を抱いた人などからの誹謗中傷もあったが、女子高生による地域での活動は認められ、現代社会の副読本にも取り上げられたほどだ。

 

高専卒業後の17年4月、ももちゃんはアパレル会社に勤めたが、佳子さんのがん闘病により、若女将デビュー。18年夏、佳子さんが亡くなったときのことを、伸彦さんが振り返る。

 

「女将の仕事が大変なのは、十分にわかっていますから、もも乃には『好きな道を選べば、それを応援する』と言いました」

 

でも、ももちゃんは女将の仕事しか頭になかった。

 

「母がよく言っていたんですが、料亭で料理がおいしいのは当たり前。女将がどこまで心を尽くし、おもてなしできるかによって、店の価値が変わるって」

 

代々の女将が守ってきた料亭を、自分の代で途絶えさせるわけにはいかない。ももちゃんは、幼いころから使命のように感じてきた。

 

コロナで料亭の経営も大きな影響を受けている今。だが、ももちゃんは前向きだ。

 

「感染対策をしています。部屋はすべて個室で、2名さまでも利用できるので、座席の距離が広くとれます。自動検温機、手を差し出すと消毒液が出る機械なども導入。さらに三味線やお琴をお客さまに楽しんでいただくために、もっと稽古をして上達したいです。それにSNSを利用して料亭のことを知ってもらうなど、私ならではの女将の仕事も広げていきます」

 

そんな頑張りに常連客のひとりは目を細める。

 

「私の親父の代から、當田屋さんには、お世話になっています。もものことは小さいころから知っているけど、今は着物姿で、佳子さんとそっくりや。体のことも心配やから、御座敷で女将は食べたらあかんみたいやけど、ももには『から酒はやめとけ』と、何か食べさせるようにしているんです」

 

そう気遣い、料亭のサポーターとして、新たな客を連れてきてくれるのだ。

 

ももちゃんを中心に、代々の女将が作ってきてくれた縁が広がっている。この縁をさらに次世代に広げるために、ももちゃんの目下の目標は、婿取りだ。

 

「24歳とはいえ、若くはないですよ。だってお婿さんに来てもらわないといけないとなると、かなりハードルが高いじゃないですか。探しているうちに、どんどん年をとってしまいます(笑)。私は年上でもいいんですが、お父さんと年齢が近くなるし……。誰かいいご縁、ありませんか?」

 

こう笑って仕事に戻るももちゃん。帯に描かれた、母の思いが詰まった「LOVE」の文字が、くっきりと浮かび上がったーー。

 

「女性自身」2020年12月15日号 掲載

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