球界に電撃復帰した新庄剛志(写真:時事通信) 画像を見る

「監督と呼ばないでください。ビッグボス! ビッグボース! でお願いします!!」

 

昨年11月4日に札幌市内で行われたプロ野球・日本ハムの新監督となった新庄剛志(50)の就任会見は、野球ファンだけでなく日本中の度肝を抜いた。ド派手なワインレッドのスーツに、10cmもの襟高シャツで現れたかと思えば、

 

「優勝は目指しません! これからは顔を変えずにチームを変えていきたいと思います!」

 

3千万円かけたという自身の整形にまつわる自虐ネタまで飛び出し、報道陣をけむに巻いた。

 

一方で、すでにオープン戦から福引きで使われるガラポン抽選器で打順を決めたり、大胆な新人起用など、独自のユニークな戦法で成果を上げ、早くもビッグボス旋風が吹き荒れようとしている。

 

だが、ここでちょっと思い出してほしい。現役時代には米メジャーリーグでも活躍しながら、34歳での引退後、時折テレビ画面を通じて報じられていたのは、インドネシア・バリ島で悠々自適の生活を送る、日焼けした肌にやけに白い歯の目立つ、なんとも不思議な自由人「元プロ野球選手の新庄さん」の姿ではなかったか。

 

そんな彼が、十数年ぶりに球界復帰を決めた背景には何があったのか。一つのヒントが、家族の存在だ。20年春の『直撃!シンソウ坂上SP』(フジテレビ系)で、こんな心情を吐露していた。

 

「姉ちゃん、います。難病なんですよ。歩くと筋肉がグーッと萎縮しちゃう。で、真っ黒に肌がなる体になってしまって……このプロ野球を目指すというのは、姉ちゃんにも見せたいっていうのもあるんですよ」

 

監督就任の話が持ち上がる以前に、プロ野球のトライアウト(入団テスト)に挑戦する真意を語るとき、そのきっかけが、難病と闘う2つ年上の姉の存在だったと打ち明けていた。著書でも、姉についてこう記している。

 

《姉ちゃんはスポーツ万能で、めちゃめちゃ頭が良かった……姉ちゃん、元気でやっているんだろうか》(『わいたこら。』学研、以下同)

 

幼少のころからずっと憧れの存在だったという姉を、少しでも元気づけるための、当時48歳にしての球界への再チャレンジだったのだ。

 

「野球も好きだけど、みんなを笑顔にするのがもっと好き」

 

底抜けの明るさ、人を惹きつける才覚に加え、実は辛抱強い一面も持つなど、わんぱく少年がビッグボスとなったルーツを知るため、記者は彼の故郷である福岡へ飛んだ。

 

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