画像を見る

弦楽の生演奏で奏でられていたのは、『あの鐘を鳴らすのはあなた』、そして『横須賀ストーリー』『プレイバックpart2』――。4月30日に急性心不全で亡くなったホリプロの前会長・小田信吾さん(享年83)。そのお別れの会が6月21日に行われた。

 

小田さんは、和田アキ子(72)や山口百恵さん(63)にとっての芸能界の育ての親。マネージャーとして彼女らを支えた人物だ。

 

しかしこの日、お別れの会の会場に百恵さんの姿はなく――。

 

「百恵ちゃんは、小田さんが亡くなった直後に、弔問に行っていると聞いています」

 

本誌にそう教えてくれたのは、山口百恵の引退コンサートの構成を手掛けた演出家の宮下康仁さん(71)だ。

 

「生前からのご遺志で、葬儀は身内のごくわずかな方で行われたそうです。亡くなったことも伏せられていたのですが、和田アキ子さんや百恵ちゃんには訃報が伝えられて駆けつけることができたようですね」(以下、「 」は宮下さん)

 

人目につかないところで、“芸能界の父”への哀哭の弔問を済ませていた百恵さん――。

 

宮下さんは「百恵ちゃんは本当に小田さんを信頼していたと思う」とその心中をおもんぱかる。

 

「僕も、小田さんが亡くなる1カ月前にお電話をもらって『宮ちゃん、コロナが落ち着いたら会おうよ。またご飯食べようよ』って。その矢先に亡くなられて……」

 

宮下さんが、百恵さん、小田さんと出会ったきっかけは、’75年に新宿コマ劇場で行われた『百恵ちゃん祭り』というステージ。当時、百恵さんはデビュー3年目、16歳。

 

「その制作担当が小田さんで、僕は縁あって脚本を任されることになったんです」

 

そのときに小田さんと“山口百恵をこれからどうしていこうか”とさまざまな話をしたという。

 

「当時、森昌子、桜田淳子のほうが人気があったわけです。それを超えるためにはどうしたらいいかと、すごく話し合いました。そこで清純な桜田淳子に対抗するために考えたのが、『黒い天使』。『百恵ちゃん祭り』でそのタイトルのミュージカルをつくって、ちょっと不良っぽい、けれど心は純粋な少女という設定で百恵ちゃんを登場させたんです。

 

そのどこか陰のあるイメージというのが、その後もずっと“山口百恵”の大きな魅力のひとつとなっていったのかなと思います。それを小田さんと一緒に作れたのは僕の誇りでもありますね」

 

次ページ >百恵さんが売れてもうれしそうな顔をしなかった

関連カテゴリー: