住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。
「アムロちゃんとは同学年で、同じ沖縄出身。そんな共通点があるから、アムロちゃんの歌にいつも自分を重ね合わせてきました。ラストコンサート『Finally』も、チケットが当たって見に行けたんです。『じゃあ、またね』と、特別なことは何も言わずにステージから降りたのもアムロちゃんらしく、今でも、また会えるような感覚でいます」
こう語るのは、医師の友利新さん(44)。’90年代を振り返ると、人生は安室奈美恵の楽曲とともにあったという。
「高校に進学する15歳まで、沖縄県の宮古島で育ちました。いまでこそ宮古島というとリゾートのイメージですが、私が育った当時は離島の田舎町。テレビでリアルタイムの放送が見られるのはNHKだけで、民放の番組は、だいたい東京の2週間遅れ。だから、『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)の結果を知るのも、2~3週間後になってしまいます。雑誌も船便で運ばれてくるから、東京の発売日よりだいぶ遅れていました」
とくに愛読していたのは今井美樹や有森也実、はなが“シスターモデル”として活躍していた『mc Sister』(婦人画報社/現・ハースト婦人画報社)。
「ファッションばかりでなく、原宿のショップ紹介やグルメ記事など、さまざまな東京の情報が詰めこまれていました。あとは宝島社の『CUTiE』も、毎号楽しみ。バンドブームだったので、『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年・TBS系)出身のジッタリン・ジンが大好きでした」
ファッションや美容に興味を持ち始めた中学3年生のとき、子宮内膜症と診断された。
「病院の先生からは『将来、子どもができなくなると困るから治療しようね』と、当時では標準的な治療法だったホルモン剤を飲むことになったんです」
医師の「体重が増えたり、ニキビができるかもしれないけど、頑張ろうね」という言葉どおり、副作用に苦しんだ。
「体重は15キログラムくらい増えて、顔中にニキビが。朝起きると、ニキビがつぶれて枕に血がついていることもありました」
宮古島の中学校を卒業し、沖縄本島の高校に進学するために引っ越しをしたときのこと。2歳上の姉が空港に迎えに来てくれたが、容姿の変わってしまった友利さんを見つけられなかったという。
「姉はかわいくて、学校ではファンクラブがあるほど。学校では“入学してくる妹も、かわいいに違いない”と噂になっていたようで、私を見てみんな“え!?”という顔をしていました。“全然気にしていないよ”という態度をとっていましたが、いつも容姿にコンプレックスを抱いていたんです」