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10月17日、俳優の西田敏行さんが亡くなった。76歳だった。各メディアによると、東京・世田谷区の自宅でのベッドで冷たくなっていると関係者から通報があったといい、病死とみられている。

 

西田さんは‘81年にリリースしたシングル『もしもピアノが弾けたなら』が、累積売上51.7万枚のヒットを記録したほか、映画『釣りバカ日誌』シリーズのハマちゃん役やドラマ『池中玄太80キロ』『西遊記』『ドクターX』などに出演。’08年には紫綬褒章を、’18年には旭日小綬章を受章し、まさに日本を代表する名優だった。

 

そんな西田さんの俳優生活を50年にわたって支えてきたのが、妻の寿子さんだった。

 

夫妻が結婚したのは、’74年8月。西田さんが所属していた劇団『青年座』に、寿子さんが研究生として入ったことがきっかけだった。そこで西田さんが寿子さんにひと目ぼれ。数カ月後には彼女のアパートに転がり込み、同棲を始めた。

 

「同棲をきっかけに寿子さんは劇団を辞め、女優の夢をあきらめました。それからというもの、寿子さんは下積み生活を送る西田さんのため仕事を開始。劇団の出演料は暮らしていくのに十分とは言えない一方で、主演など出番が増えるほどアルバイトなどに割く時間が減ってしまいます。そんな西田さんに代わり、寿子さんは喫茶店やブティック、ときにはスナックなどのアルバイトを掛け持ちし経済的なサポートを買って出たのです」(芸能関係者)

 

入籍から2年後の’76年7月には長女が誕生。寿子さんの借りていたアパートから、世田谷区内の家賃35,000円・2Kのアパートに引っ越したという。西田さんは同時期にレギュラー出演していた『いごこち満点』と『三男三女婿一匹』(共にTBS)でブレイク。その1年後の’77年10月には4000万円で待望のマイホームを手に入れた。

 

その後、西田さんはドラマに映画にと大活躍。そんななか、寿子さんにある申し出をしたという。

 

「寿子さんが長女を出産した後、西田さんは『育児が一段落したら女優の勉強を再開してもいいんだよ』と言ったそうです。でも夫からのそうした申し出を、彼女はスッパリ断ったそう。寿子さんは女優の夢を完全に諦めて、西田さんの俳優人生を支えることを決意していたのです」(前出・芸能関係者)

 

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出典元:

WEB女性自身

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