4月30日、サントリーホールには4時間ほど滞在された愛子さま 画像を見る

元日の能登半島地震、翌日の日航機と海保機の衝突という波乱の幕開けとなった2024年。その後も、大谷翔平が電撃婚&「50-50」達成、与党が衆院選で大敗、トランプ前大統領が返り咲くなど、国内外問わず衝撃的なニュースが相次いだ。そこで、本誌が目撃してきた2024年のスクープのなかでも、とりわけ反響の大きかったものを改めて紹介する。

 

日本赤十字社に入社されてから1カ月を迎えようとしていた4月末。連日勤務に励まれるなか、この日の愛子さまは直帰されず、都内の有名コンサートホールへ。そこには、若くして亡くなった才気あふれる“ご学友”との絆があった――。(以下、女性自身2024年5月21日号)※年齢は掲載当時のママ

 

天皇陛下ご即位5周年を翌日に控えた4月30日の夕方。日本赤十字社を退勤した愛子さまが向かわれたのは御所ではなく、日赤本社とも同じ港区内にある「サントリーホール」だった。

 

この日、同ホールで開催されたのは「メモリアル・スペラ チャリティコンサート チェリスト 山本栞路を偲ぶ 一年祭メモリアルコンサート」。

 

皇室担当記者によれば、

 

「愛子さまと山本栞路さんは、学習院初等科時代の同級生でした。1、2年生のころは同じクラスだったと聞いています。山本さんは将来を嘱望されたチェリストでした。

 

学習院中等科3年生のとき、『第16回泉の森ジュニアチェロコンクール中学生の部』で金賞。その後、桐朋女子高等学校音楽科に進学し、3年生のとき、『第73回全日本学生音楽コンクール高校の部』で全国大会1位に輝きました。しかし昨年、病気のため21歳の若さで亡くなったのです」

 

この夜の追悼コンサートは天皇陛下と雅子さまも鑑賞された。

 

「お忍びかつ、お三方おそろいでのご鑑賞ということからも、天皇ご一家の山本さんへの強い哀悼のお気持ちが伝わってきます。それでも愛子さまが御所に戻らず、直接ホールに向かわれたのは、ギリギリの時間までお仕事をされたかったからでしょう」(前出・皇室担当記者)

 

愛子さまの元クラスメートとはいえ、天皇ご一家が世間的にはまだ有名ではない音楽家の名前を冠したコンサートに足を運ばれることは異例のことといえる。

 

次ページ >管弦楽部入部を機に登校状況が劇的改善

【関連画像】

関連カテゴリー: