「死亡診断書の日付はいつにする? 1週間後ぐらいでいい?」
「いやもうちょっと、孫の誕生日が過ぎてからがいいなあ」
「欲ばりだね~」
在宅緩和ケア医の萬田緑平医師(61)はこう語り、人懐っこい笑顔を見せた。4歳から102歳まで2千人以上の看取りに関わってきた彼が、死亡診断書の日付をたずねたのは、命のカウントダウンが始まった人だ。
群馬県前橋市で農業を営んでいた萩原昭巳さん(84)。3カ月前にステージ4の肺腺がんと診断され、治療や入院をせずに、静かに家で過ごすことを選んだ末期のがん患者だ。
古民家の座敷に置かれたベッドに横になる萩原さん。遠くには雄大な榛名山、“職場”だった畑も庭に咲き乱れる紫蘭も見渡せる。命の炎が燃え尽きるまで家で暮らしたい、そう願う萩原さんを萬田医師は毎週1回訪問してケアをしている。とはいっても血圧や体温を測ることはしない。ただただ、話しかける。
「お酒は飲めている?」
末期がん患者でも好きなようにさせる。萬田医師は人生の主導権は最期まで本人が持つべきだと考えている。
「もう飲む気がない……」
弱々しく萩原さんが答える。介護する長女の星野ちえ子さん(60)が会話に割り込む。
「なに言っているの、昨日も“晩酌したい”って、焼酎の水割りを飲んだでしょ!」
ベッドの周りに笑顔が咲く。萩原さんも「バレたか」といった表情で歯を見せた──。
萩原さんの妻も2年前の秋に末期の肺腺がんと診断され、その年の冬に84歳で旅立った。そのときも萬田医師が彼女をケアした。萩原さんの妻は、夫、2人の娘、孫たちから「ありがとう」と言われながら、この世を後にした。
「父が、治療しない選択をして、萬田先生に頼ったのは自然の流れでした。この家で生まれ、母と一緒になってからはいつも2人で、若いときは養蚕、その後も家の前の畑できゅうりやトマト、ほうれん草を育てていた。日が暮れると晩酌をするのが父の唯一の楽しみ。母を見送ったこの家が父のすべて。周りからは『介護は大変でしょう?』と言われますが、楽しく穏やかな時間を過ごせています。これも、いつも笑わせてくれる先生のおかげでしょう」(ちえ子さん)
