瑶子さまと来日時のスーチー氏の会談に、渋谷ザニーさんも参加(渋谷ザニーさんのSNSより) 画像を見る

「ミャンマーの民主化指導者であるアウンサンスーチーの次男、キム・エリアス氏が、6月19日のスーチー氏の81歳の誕生日に際し、共同通信のインタビューで《私の知る限り、刑務所に収監中》と回答しました。同月30日には、ASEAN議長国のフィリピンが特使とスーチー氏との面会を求めましたが、ミャンマー親軍政権はこれを拒否。スーチー氏の安否が心配されています」(国際部記者)

 

一連の報道を受け、美智子さまが心を痛められているのではと推察するのは、皇室ジャーナリストだ。

 

「上皇陛下と美智子さまは、2016年11月、御所でスーチーさんとお会いになっています。上皇陛下は、先の対戦で多くの日本人が亡くなり、またミャンマーの人々へも困難を与えたことなどをお話しされ、スーチー氏も『日本人は友人。文化の違いはあるが友人になれる』と応えたと報じられています。

 

別れの際には、美智子さまとスーチー氏が抱擁しあう場面もありました。軍事クーデターによってスーチー氏の消息が不明になり、せっかく芽生えた友情が育めないことのご心痛は、いかばかりか……」

 

パリを拠点に活動しているファッションデザイナーの渋谷ザニーさんも同じような感想を抱いているという。ザニーさんは旧ビルマ(現ミャンマー)出身で、2019年に執り行われた天皇陛下の即位関連行事において、三笠宮家の瑶子さまがお召しになったローブ・デコルテやローブ・モンタントなどを担当した。

 

「両親はともにビルマの民主化を進める活動家で、軍事政権に命を狙われていました。私が4歳だった1989年に、父が国外に亡命。私自身も小学校3年生のとき、元独立軍の将校だった母方の祖父の尽力でパスポートが発行されて、政治難民として日本に来ました」

 

こうした逆境を跳ね除け、ザニーさんはデザイナーとして活動し、ついには瑶子さまのドレスを担当することになったのだ。

 

「瑶子さまと交流させていただくなかで、皇族の方々がご訪問されたことがなかった祖国へ、お連れしたいというと願うようになったのです」

 

2019年10月の、天皇陛下の即位に伴う「饗宴の儀」の際、瑶子さまは来日していたスーチー氏と懇談された。ザニーさんによれば、当時の在ミャンマー日本大使の後押しもあり、その翌日にも会談があったという。

 

ザニーさんの“皇族を祖国にお連れしたい”という夢が実現したのはその2カ月後、2019年12月のことだった。ザニーさんが「身にあまる役目」だったと述懐するのは、瑶子さまがミャンマーのスーチー氏の私邸をご訪問する際に託された大役だった。それは美智子さまの書簡を、スーチー氏の前でミャンマー語で朗読するというものだった。

 

「朗読は、同行する日本大使か外交官が担う役割だったそうですが、当時の日本とミャンマー両国の外交関係、スーチー氏との交流、そして瑶子さまと私との関係性を踏まえ、特別な役割として託されました」

 

その美智子さまの書簡の概要は、次のようなものだったという。

 

《私は天皇陛下と共に、これまで多くの国々を訪問してまいりました。訪れた国々では、必ず一人でも友人をつくり、その後もその方々と交流を続けてまいりました。しかし、訪問の願いが叶わなかった国がありました。それがビルマでした。

 

今回、皇族として初めて瑶子女王がビルマの地を訪問することを、私は心から嬉しく思っております。私の想いを乗せて、瑶子女王がビルマの地で国民の皆様と心を通わせることを願っております。何より、瑶子女王がビルマに友人を持つことができたことを、大変嬉しく思います》

 

ザニーさんが続ける。

 

「この言葉は単なる外交文書ではなく、美智子さまが長い年月をかけて願ってきた“国と国、人と人との友情”への想いを伝える内容でした。そして、美智子さまは、ミャンマーではなく、戦前から日本人に親しまれているビルマと表現されたところにも、意味深いお心遣いを感じました。

 

上皇、上皇后両陛下が国内外で慰霊の旅を続け、国民とともに、戦後から新たな時代への道を切り拓かれました。令和を生きる私たちも、その歩みの重みを胸に刻み、責任を持って未来に歩んでいきたいです」

 

美智子さまの憂いが晴れるよう、一刻も早く、ミャンマーに平和が訪れることが望まれる。

 

画像ページ >【写真あり】「結構イケイケ」瑶子さまの金髪×ピンクメッシュの着物姿(他19枚)

出典元:

WEB女性自身

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