【前編】《能登半島豪雨から2年》遺族が偲ぶ“犠牲になった14歳少女”との思い出「成績はよくて、夢は公務員」から続く
2024年9月に発生した「令和6年能登半島豪雨」。21人が犠牲となったが、当時中学3年生だった少女・喜三翼音(きそはのん・享年14)さんも、そのうちの1人だった。それから2年、三回忌を前に遺族たちが、翼音さんとの思い出を語ってくれた――。
9月21日早朝、輪島市に住んでいた喜三(きそ)鷹也さん(44)はサッカーの試合に出場する長男を、最寄り駅まで送った。
「輪島駅では雨やったけど、試合のある志賀町では大したことがないみたいでした。出社するときに自宅前の塚田川を見ましたが、泥水にはなっていても水量は増えていなかったんです。昼ごはんを食べに自宅に戻ったときに水量をチェックしようと思っていました。その日は土曜日で学校が休みやったから、翼音のこともそのまま寝かせていたんです」
自宅から車で10分ほどの場所にある会社に出社しても、周囲の景色は変わらないため、知人から「塚田川が大変なことになっているみたいやけど、大丈夫か」と電話があったときも、信じられなかった。だがしばらくして、もう1回「本当にやばいらしいぞ」と電話があったことで、鷹也さんは長女・翼音さんにビデオ通話をした。
「翼音は『まわりが海みたいになっとる』と言って……。部屋のドアを開けようにも、水圧で開かんようになっていたんです」
3階建ての家で、翼音さんがいた2階の自室にまで水が上がってきていたのだ。
「翼音は外を見て『水に流されて車庫がないよ』って。『そんなん、いいわ! それよか絶対に出るなよ』って伝えました。外に飛び出しても溺れ死ぬだけだと思ったんです。ぬれて体が冷えるかもしれんから、とっさに『とにかく長袖長ズボンをはいておけ』とだけ伝えて、消防署に電話するために一回電話を切りました」
富山の朝市に出店していた誠志さんと悦子さんも、急きょ、店を片付け、輪島に戻り始めた。
「翼音に電話したら、落ち着いた様子で『大丈夫』と言っていたんですが、それが最後の言葉に……」(悦子さん)
鷹也さんも翼音さんへのビデオ通話を切ってすぐに家に戻ろうと車に乗ったが、あちこちが水浸しになっていて、3時間ほどかかって自宅近くに到着。だが規制線が張られ、それ以上進めない。「家族なんです! 家があるんです! 娘がいるんです!」という鷹也さんの声があたりに響いた。
自宅は濁流に押し流され、大破したようだった。翼音さんの姿は見つからないし、電話をしても通じない……。
捜索活動には、鷹也さんの友人や地元の漁師たちも協力してくれた。通常なら3?4日で打ち切られるところ、犠牲者のなかで翼音さんだけが見つからず、延長して捜索が続いた。“無事におってくれ”と一縷の望みを持ち続けていたが、日を追うごとに鷹也さんは憔悴していった。
そして豪雨から10日後のことだった。福井県の海上保安庁から電話があり、「おそらく娘さんだと思います。長ズボンに『喜三』と名前が入っています」と伝えられた。
「反抗期で、ボクの言うことはあまり聞いてくれませんでしたが、最後に言うとおりに長袖長ズボンをはいていてくれて……。名入りの学校のジャージーやったから、身元もすぐに判明したんです」
見つけてくれたのは、福井県の漁船。陸から30キロ離れた沖で、甘エビ漁の漁師が奇跡的に発見したのだった。
「大きな船で、ふつうなら気がつかんところ、スッと横切る翼音を見つけてくれたんです。目を離すと二度と見つからないから、海上保安庁が到着するまで、浮いたままの翼音のそばにいてくれました。発見してくれた漁師は『沈んでしまったらわからなくなるところでした。娘さんは頑張って浮いてくれていた。だから褒めてあげてください』と……。家に帰るために、翼音は本当に頑張ってくれました」
亡きがらの損傷は激しく、見ないほうがいいと止められた。
「あまりにも違う姿やからって……。家族で話し合って、対面はせず、かわいい姿のままの翼音の記憶だけを残すことにしました」
