ロサンゼルス五輪の柔道無差別級の金メダリストであり、数々の記録を残し、「世界のヤマシタ」として伝説的な存在となった男の人生が突如変わったのは3年前のことだった。なぜ山下泰裕さんは、車いすに乗りながら、若者たちの目の前で語り続けるのか。いまも“攻めの姿勢”を続ける彼の背中を押したのは愛妻の「与えられた役割を果たさなきゃいけないよ」という言葉だったという――。
「なぜ、嘉納治五郎師範は柔道を創設したのか、その目的はなんであったのか。つまり『柔の道』とはなにかを、みなさんにはぜひ考えてほしいと思います」
’84年ロサンゼルスオリンピック柔道金メダリストの山下泰裕さん(69)が、母校の東海大学・湘南キャンパスの教室で、学生たちに熱く語りかけている。
目線は着座する学生たちと同じ高さで、体育学部武道学科特任教授の山下さんも、車いすに座ったままの授業スタイルとなる。
いまから3年前の’23年10月29日、山下さんは休暇を利用して、家族と箱根の温泉に日帰り旅行に出かけた。露天風呂で立ち上がった途端、ヒートショックで意識が遠のき、風呂の縁から約2メートル下に転落。なんとか一命は取り留めたものの、頸髄損傷の重傷を負った。
手術とリハビリを繰り返して、ようやく’25年9月に退院。教壇に復帰したのは、同年11月のことである。
「いまは首から上は達者なのですが、上半身、下半身ともに麻痺の状態です。左腕は少し動きますが、手首から先は動きません」
教卓にはティッシュボックスが置かれているが、鼻水が出たときに拭うのはスタッフの役目だ。水分補給も、ストローを口に運んでもらわなければできない。
教壇復帰後、’25年度は後期の4コマのみ授業を行い、今年度は前・後期とも担当してきた。来年1月まで授業が続く。
「授業テーマの一つが『ジュードー・フォー・エブリワン(すべての人のための柔道)』です。柔道とオリンピックや障害者スポーツ─パラリンピック、デフリンピック(聴覚障害者の国際スポーツ大会)、スペシャルオリンピックス(知的障害者の国際スポーツ大会)との関わりについても、お話ししています。
これからもスポーツが、さまざまな方々に生きる喜びを与え、連帯を感じてもらえる社会であってほしい」
山下さんは事故当時、JOC(日本オリンピック委員会)会長という要職にあった(’25年6月に橋本聖子氏が新会長就任)。
’25年12月の教壇復帰後会見では「これでプレッシャーから解放されるかなと思った」と、意識が戻った直後の心境を明かしている。
JOC会長の立場は、それほどの重圧だったというのか? 世界の強豪相手に、無差別級で引退まで203連勝と無敵を誇った国民的英雄にしては、意外な心情のように記者は感じた。同時に会見では、事故後の生活のなかで妻子から励まされたことと感謝を、山下さんは口にした。
事故、手術、入院とリハビリ、そして、重い障害がある状態での社会復帰……。その時々で、山下さんにどんな変化があったというのだろうか。かすれ声ながらも力がこもっている山下さんの言葉に、耳を傾けた。
