家族は、具体的にいつ頃から何を感じて、身内の認知症を疑い始めるのだろう?

私の場合、記憶をたぐり寄せてみると、最初に気が付いたのは、電話だった。シドニーでの私と息子の二人暮らしをずっと気遣ってくれていた母は、息子が、毎日曜日に電話をかけると必ず、電話代が大変だから、と息子に一旦電話を切らせ、折り返し電話をくれたものだった。日曜日の母との電話は、私たち親子の最大の楽しみだった。それが、いつの日しか母は、電話をかけても出なくなり、そうこうしているうちに母からの電話が、全く鳴らなくなってしまった。(電話に出るのが、おっくうで、その内に掛け方が、分からなくなったらしい・・・)

もう一つ、息子が楽しみにしていたのは、母が毎月送ってくれる小学1年生、2年生という月刊誌と息子の年齢に応じて選んでくれた本だった。でも次第に、同じ雑誌や本が何回も送られてくるようになり、息子が、小学4年になった昨年は、遂に何も送られてこなかった。

そんな中、私が、母の認知症を覚悟したのが、この冷蔵庫の中身だった。

母は、私と違い、とても几帳面な正確で長いこと台所領域を誰にも使わせなかった。特に私は、母にとって料理の仕方や後始末の仕方が、だらしなさ過ぎたからである。それが、昨年「THEダイエット!」プロモーションのために数回帰国した際、私が台所に入っても文句を言わず、むしろ私が料理をするのを喜んでくれているように見えた。

私は、私で、母の冷蔵庫の中味を見て、ぶったまゲーションだった!「何じゃこれ?」が、最初の反応である。中は、ごちゃごちゃ、あれ〜こんなモンが、入っている!?<あちゃ〜>と思った瞬間、冷蔵庫の中身が、母の頭の中身に思えてきた。あんなに整理整頓好きだった母の脳のどこかが壊れ、カオスに取って代わられたのだ。私の反応は、見てはイケナイものを見てしまった気分と同時に、不思議だが、ややホッとしたのである。何と言ったらいいのか、母は、もう以前のように躍起になって掃除をする<掃除魔の母>から解放されたのだ、と。

実は、この「冷蔵庫編」は、すでに YouTubeでアップされており、100人以上の方に見て頂いている。そして、賛否両論!母が、昼寝をしている間にコソコソと冷蔵庫の中を撮る監督としての私が、イヤラシイ。
冷蔵庫の中までは、見たくない等々。

ごもっとも、である。

また、多分それと同じ理由で、同時期にツイッターのフォロワー数人からもブロックされているのに気が付いた。ツイッターでは、例えば、「母のトイレは、長い。腎臓大丈夫かと心配しつつ、現在私のオシッコ我慢中。」とか、「母は、トイレから出てくるなり、便秘だと言った。でも5分後には、下痢になっていた。ああ、母との生活は、飽きないなあ。」なんてトイレ・ネタも含めて呟いている。(だって下ネタ、大好き!)

賛否両論の反応は、<ドキュメンタリー映画とは何ぞや>というモラルの領域なのである。

自分の家族、身内をそこまでさらけ出すのか。どこまで見せるのか。南田洋子さんのところへウソをついてまで行き、撮ったものを見せたいのは、何故か。精神を病んでいる人たちに紗を掛けずに画面で見せたいと思うのは、何のか。去っていった妻と恋人の出産シーンをカメラで捉えて見せるのは、どうしてなのか。

このモラルの問題が、まさに今、作品完成途中の映像をお見せする理由の一つでもあるのだ。つまり、監督として、現段階では、私が撮りたいものを撮り、それを見てもらい、反応を頂く、ということをしたいのである。私自身そのことが、最終的にどんな影響を持つのか。完成作品への追い風となるのか、それとも私を追い込み、考えてもみなかった方向に行くのか。まずは、「冷蔵庫の中身」をとくと、ご覧あれ。

 

ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸 彼岸』一覧

 

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