第27話 果てぬクエッション・マーク

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10月14日、引きこもっている母の代行として、お世話になっている脳神経外科の先生を訪れた。アリセプトの処方箋と介護認定継続のための報告書を書いて頂くためだ。

母の現況を報告しながら、先生が、フト「実は、アルツハイマー病は、本来ならば、ニコニコしながらドンドン忘れていく、言わば神様がくれた人生最後のご褒美の時間なんですよ。ただ、そこに行ける人は、少ないのかも知れませんがね。」とおっしゃった。私は、思わず、「先生、言いことをおっしゃいますねえ。」と
返答していた。そう言いながら、あっ、母方の祖母が、まさしくそうだった、と思い当たったのである。

image明治生まれの祖母は、末っ子の母を含めた6人の子供を育てながら、震災、戦争を生き抜いてきたチャキチャキの浅草生まれの江戸っ子だった。醤油のことをむらさきと呼び、クルクルよく働く<堀ノ内のおばあちゃん>のことが、<ウチのおばあちゃん=同居していた父の母>と同じ位大好きだった。

そんな祖母は、老年期から母の姉(伯母)のところで住み込んで働くようになった。伯母のところは、男の子二人を抱え、商売の米屋をするのが大変だったことと、実家の長男の嫁との折り合いがよくなかったから、というようなことをずっと後になって母が、教えてくれた。

ところが、伯母は、そんな祖母を口撃することが多く、(伯母の口癖は、「親を恨むよ。」だった。)70代後半から惚けの症状が出てきた祖母を実家に帰したのである。

しかし、祖母の惚けは、まさしく、ニコニコしながら、ドンドン忘れる惚けだった。「辛かった人生を忘れる為に惚けが、来たんだね。」と母と話し合ったことを今でも覚えている。何だかホッと出来て、とてもカワイイ惚けだった。

祖母は、かつて折り合いの悪かったお嫁さんを<お姉チャン>と呼び、慕い、最後は、感謝しながら、昼食後に眠るように亡くなった。でも、それは、ああ、人間としてこうありたい、というような安らかな最後で、あたかも祖母の人間性を現しているようだった。お嫁さんの慟哭が一番深かった。

でも・・・と私は、考える。祖母のような惚けは、先生が言うように、やはり少ないのだろうか。そして、少ないとしたらそれは、何故なんだろう?

確かに私の周囲には、介護を経験している人が、少なくない。話しを聞く機会があるが、とにかく悲惨であり、絶望的なのである。<認知症家族の会>に行けば、行ったで、介護する側は、本当に大変、ということが、すでに既成事実として語られている。

本当に介護をする側にとって、介護される側は、そんなに厄介な存在なんだろうか。

私は、一人頭を掻きむしり、唸る。

思い悩みながら、母を見ると、夜中の1時頃になって、今日は夕飯を食べなかったから、と夕食の残りのキノコご飯と母の大好物のなめこと豆腐の味噌汁をおいしそうに食べている。私が作ってくれた味噌汁は、とってもおいしい、と言いながらー。

私には、そんな母が、愛おしくて、愛おしくてたまらないのである。

 

ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸 彼岸』一覧

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