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12月某日 北イタリア・パドヴァ

数週前の出来事ですが、結婚生活37年になるうちの姑と舅が離婚騒動を起こしました。とはいっても、結婚数年目からほぼ毎日「今すぐ離婚だ!」を何百何千回と繰り返してきているので、その言葉が〝実践〟という効力を持つものだとは誰も思っておらず、今回も皆と一緒の食卓の場で姑が「私は今日から娘の家で寝ます。離婚届は机の上に置いてある」と言ったときも、皆で苦笑いをして済ませようとしました。

 

しかし、今回は何となく姑と舅の様子がいつもと違います。姑のその発言に舅も「わかった」とだけ静かに答え、目の前のコーヒーを普通に飲んでいるし、姑もそれ以上会話を繋ぎません。いつもならあの不必要にでかいボリュームの姑の声も隙間風のように頼りなさ気だし、舅も彼女と目を合わせようとすらしないのです。

 

この2人が長い時間、ともに連れ添った夫婦であるにもかかわらず、資質も、やっていることも、考え方も違い過ぎるのは誰もが判っていました。でも、イタリアでは離婚の制度がいろいろ厳しかったので、それもあって何とか軌道修正しながら一緒にやってきているのだろうとは皆思っていましたが、今回はどうも空気がいつもと違うのです。

 

エンジニアの舅は人間の性質としてはどちらかというと、多くの人が想像する開放的で大胆で情動的なイタリア男とはまったく正反対で、自分で作った広大なラボラトリーに一日中引きこもって、メシも食べずに機械で奇妙な乗り物やらなにやらを作っているマニアック(オタクともいう)な人間です。イタリア人でありながら「愛している」なんて恐らく人生で一度も口にしたことは無いでしょう。それ以前に、社会性とか、女性との付き合いなんて、彼にとっては昔から二の次三の次で、ほぼどうでもいいことでした。

 

しかし、姑は違います。絵に描いたような喜怒哀楽の激しい典型的イタリア女で、日曜には家族とご飯を食べたり、どこかへ出かけたり、一緒に映画を見たりしたくて仕方のない人なのです。そして何より、彼女は自分のことよりも、夫や息子、そして娘の活躍がとにかく楽しみ。自分が何かをやるのではなく、自分の愛する家族の活躍で、この上ない充足感に浸りたい人なので、多少夫がマニアックな職人で、自分の日常の些細な願いを叶えてくれなくても、それでも彼のやっていることを心からリスペクトし、結果を出してくれることに自分自身の希望と夢をつのらせてきたのです。

 

しかし、舅はもともと仕事=経済という公式の成立しない金持ちの息子で、フェラーリというエリート会社に就職したにもかかわらず「人の言いなりには働けない」という理由で自主退職、それ以来自分で会社と工場を作って自分の作りたいものだけを手がけると宣言して既に30年、実はその頃から目指して作り続けているものがまだ完成していません。これまで彼に手を貸していた若いエンジニアたちは皆呆れて次々と離れていき、たった一人、舅のもとに残っていたアシスタントも妻に切願されてとうとう別の仕事を見つけてしまいました。

 

どうも今回の離婚騒動の発端はそこにあったようです。

 

私はうちの夫と結婚したときから、姑の自分の家族に対する過剰な期待、そして人が集まれば「うちの息子は今こんなことをしているの」「娘はこんなことをしているの」と自慢したがる性質にどうしても同調できず、一度喧嘩になったときに「家族のやっていることばかり考えないで、自分でも何かしたらいいじゃないですか、自分で自分の自慢になることを!」とブチギレて発言したことがありました。なぜなら、その時私は自分が何をしたいのかもわからないのに、ただ親を安心させる為にガムシャラに勉強をし続け、良い大学に入り、ミラノの一流建築事務所に就職したものの、「こんなこと自分のしたいことじゃない、辞めたい、辛い でもそれを言ったら親が落ち込む」とストレスを貯めて摂食障害を起こしてしまった小姑から、毎日のように相談を受けていたからです。

 

要するに、舅も、そんな妻の〝暗黙の期待〟という圧力がずっと辛くて仕方がなかったのでしょう。自分はお金のことなど気にせずにマイペースにやっていきたい。それなのに姑からは「いったい、いつまでこのままでいるつもり!? 何してるの、早く完成さてよ!!」と毎日のように怒鳴り散らされている舅には、私もいつも心底から激しく同情していました。

 

だから姑が離婚発言した時、私は、「ああ、それはいい。そのほうがあなたも舅も皆幸せになる!」と思ってしまいました。

 

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喧嘩は毎日していながらも、それぞれの譲れない性質に何とか馴染もうと頑張ってきた

夫婦という関係は、長く一緒にいればいるほど、熱烈恋愛スイッチが発動していた初期には気がつくことのない、お互いの決して譲れない考え方や感性、そして生活習慣が、様々なかたちのネゴシエーションを経て2人の意識に馴染み込み、かたちを変えていくようになります。そして気がつけば本人たちにはわからなくても、夫婦から似たような雰囲気が醸し出されるようになるのも珍しくありません。この現象は夫婦と限らず、ペットにも見られることなので、一緒に暮らし、生活するということが、どんな人間同士のかかわりよりも頑強で決定的な絆を築くことになるのかを示していると思うのです。

 

島尾敏雄という作家がかつて書いた作品に『死の棘』という私小説があります。小説は、戦後始めた東京での暮らしの最中、夫の不倫発覚によって繰り広げられる壮絶な夫婦のありさまを描いた内容ですが、私は最近、この作品や島尾夫婦について詳細に分析した梯久美子さんの『狂うひと』という本を読みました。

 

ここで詳しくその書籍の内容や感想については触れませんが、作品では露見しない島尾夫婦のバックグラウンドを辿って読後に感じたのは、結婚のように法に誓った人生の約束事を、大きな受難として背負い込みながら生きていく人というのは、どれだけパワフルなのだろう、ということでした。離婚もエネルギーのいることではあるけれど、こんな夫婦関係はもうダメだ、このままでは狂う、崩壊だと思い詰め続け、ヨレヨレになりながらも、別れないエネルギーの燃焼が相当に凄い。ブラジルのヴィニシウス・ヂ・モライスという作家やオスカー・ニーマイヤーという建築家は人生で8回も9回も離婚や結婚を繰り返していますが、このふたりよりも、精神の限界の域に達し、疲弊し尽くしても最後まで離れなかった(というか、妻に屈した)島尾夫妻のあり方のほうが、よっぽど仰天するに値します。

 

穏やかな夫婦関係であろうと、壮絶なものであろうと、公平だろうと不公平だろうと、子供や世間体の為であろうと、愛があろうとなかろうと、最終的に家族として一緒に暮らし続けるというのは、もうそれだけで第三者には太刀打ちできない、夫婦の潜在意識下の普遍的な結束力というものを、強く感じさせられるのです。

 

姑と舅も軋轢を育みながらではあっても40年近くも一緒にいるので、お互いから放出される雰囲気はとても似ています。それは、喧嘩は毎日していながらも、それぞれの譲れない性質に何とか馴染もうと頑張ってきた軌跡とも言えるでしょう。だから、今回の離婚がもし本当に実行されるのであれば、それは本当にこの2人がもう他に選択を許さぬ限界にきているという意味なのだな、とも感じたのですが…。

 

離婚宣言があったその夜、数日前から準備した荷物を持って娘のところへ向かった姑は、結局彼女の後を焦って追いかけてきた舅に説得されて、一緒にさっさと家へ帰って行ったそうです。あれだけ「ふたりの仲の悪さを目のあたりにするのはもう沢山、別れてしまったほうがいい!」と言い切っていた娘も、「ああ、離婚しなくてよかった……」としみじみ胸をなでおろしていました。どんな動機が舅に妻を追いかけさせたのかはわかりませんが、最終的には彼もまた、日々の喧嘩や妻からのプレッシャーを込めた愚痴がどんなに厄介で腹立たしいものであっても、いまや彼の生き方に欠けては困るものになってしまっているのでしょう。

 

私の場合、根が冒険体質ということに加え、女手一つで十分幸せそうだった母親に育てられたこともあって、10年暮らした彼氏の子供を未婚で生んでその直後に別れたときも迷いはありませんでした。なので、愛情も刺激も薄れ、負担ばかりが感じられるようになった人と、人生の最後まで無理矢理にでも過ごす、という自信はこれっぽっちもありません。それを我儘で奔放という言い方に置き換えられることもできるのでしょうけど、そういう意味で、義父母のあり方には心底から感心するばかりです。

 

これからもまた、間違いなく離婚騒動は繰り広げられるのでしょうけども、夫婦というのは仲の善し悪しよりも、どんなことがあろうと、何があろうと、とにかく一度築いた〝家族〟という砦を決して崩しはしないのだという、執念の城守のような姿勢そのものに、畏れ多さを感じさせられるのでした。

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