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1月某日 フランス・アングレーム

只今わたしは、現在連載中の『プリニウス』で合作をしているとり・みき氏とともに、フランス南西部に位置するアングレームという街に来ております。この街では年に一度、主にフランスのBD(漫画)がメインとなった漫画の大規模な祭典『アングレーム国際漫画祭 Festival international de la bande dessinee d’Angouleme』 が催されているのですが、今回我々は、自分たちの作品『プリニウス』がフランスの出版社でも翻訳されて発売されたこともあり、この街を訪れているのでありました。

 

実は以前にも何度かこの祭典への参加をフランスの出版社から促されていたのですが、大きなイベントや人混みが嫌いなのと、率直に営業が面倒なのとでずっと断っておりました。とり・みきさんは10年前にも『遠くへいきたい』というご自身の作品のフランス語版が刊行された時に既に訪れた経験がありますが、私にとってはそんなわけで初めての来訪となります。

 

そもそも古代ローマ時代の変人博物学者・プリニウスを主人公にしたこの作品ですが、本音を言うと描き始めた当初から欧州での翻訳を強く願っていたところがありました。なので、念願叶ってフランス語版が出版されたからには、できるだけ沢山の方にこの作品の存在を知ってもらいたい、できるだけアピールを手伝いたい、という思いもありました。

 

フランスで漫画を表現する言葉であるバンド・デシネ、略してBDについてご存知無い方もいらっしゃるでしょうから、大雑把に説明いたしますと、表現の構造自体は日本の漫画とは全くかわりはありませんが、大きな違いといえばBDは日本の漫画にくらべてどちらかというと絵が重要視される、という点です。フランスやイタリアなどでの漫画は、大袈裟な話、ストーリーがそんなに面白く無くても絵が美しければ買い手が付く、と言ってもいいかもしれません。フランスの出版社の編集者たちもそこを重点にして作家を選んでいます。

 

日本の漫画は、殆どが週刊や月刊、隔月刊といった感覚で出版される雑誌媒体の連載を経て単行本になるのが常ですが、フランスにはそのような漫画雑誌は存在していません。先述したように、絵が最大の見せ所となるので作家たちは時間になるべく追われる感覚をさけて、じっくりと作品を作っていくのです。なので日本の漫画家のように、次から次へと生産した作品を雑誌に掲載していくこともなければ、BDには何億円というヒットをもたらす日本の漫画市場のような巨大な経済的効果もありません。

 

去年から今年にかけて、日本では『ルーヴルNo.9』(http://manga-9art.com/)という展覧会が巡回しています。フランスにおいて漫画は9番目の芸術と称されていて、ルーヴル美術館が主体となっている大規模な展覧会ではフランスの作家と日本の作家の作品があわせて16作品展示。私もシリアとルーヴル美術館を舞台にした作品で錚々たる作家陣に混じって参加させて頂いておりますが、この展覧会をご覧いただければ、手っ取り早く漫画とBDの違いもお分かり頂けるかもしれません。

 

フランスでも一時期、出版社が日本の漫画のようにBDの大量生産の方向を狙う兆しがあったようですが、結局それは未だに形になっていないということでした。私は通常家族と暮らしているイタリアで漫画を描いているわけですが、今までにいったい何度周りの人に『締め切りに追われて焦って描いたところで、どんないい作品ができるというんだ。その描き方はおかしい!』と言われ続けて来た事か知れません。つまり、時間に煽られて作品を作る、という考え方がイタリアやフランスなどの欧州では基本的に定着していないのです。

 

そういった意味で、日本の漫画はまた欧州のBDとは若干違うエンターテインメントというポジションで翻訳され、多くの人々に楽しまれている傾向もあると言っていいでしょう。

 

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ステージ上で即興で16ページの漫画を描くことに

今回我々の作品『プリニウス』がフランス語版で発売されたことで、フランスの出版元は我々のアングレーム漫画祭への参加の他にも沢山のプロモーションを準備しており、結構な数の媒体のインタビューを受けました。

 

合作である我々の作品のプロセスについての興味や、日本人であるにもかかわらずこちらにとっては本家本元である古代ローマ時代をテーマにした話を私がずっと描き続けていることといったベーシックな質問もさることながら、印象的だったのは、彼らがこの『プリニウス』という漫画はどこか日本の漫画っぽくない、と捉えていることでした。

 

「我々フランス人は日本の漫画作家でも、絵がBDに近い人を選んでしまうところがあるかもしれません」と訪れた記者の1人が発言していましたが、そのような観点に見れば、確かに私ととり・みきさんが真夜中に自分の羽を抜いて織物を織る鶴さながら、月刊連載という縛りのなかで心身磨り減らして描いているこの漫画は、絵をじっくり見てもらうことを基準に作っています。なのでそのような見方で『プリニウス』を褒めて頂けるのは大変嬉しかったのですが、考えてみれば日本の締め切り付き連載方式で、1ページ1ページ絵をじっくり眺められるBD好きにも気に入られる漫画を描くというのは、私ととりさんの創作中に発生する、時間との向き合い方に対しての軋轢を思い起こしても、やはり一筋縄ではいきません。

 

とはいえ、先述したように私は『プリニウス』を漫画にしようと思った時点で、欧州で出版された場合の反応を心から楽しみにしていたわけですから、今回のアングレーム来訪も含めてこの展開はとても喜ばしいものでもあるのです。

 

アングレーム国際漫画祭では基本的にサイン会、トークショーなどの催しが準備されていますが、中にはちょっと特殊なイベントもあり、音楽の演奏と一緒に1時間以内で数名の漫画家が16コマの漫画を仕上げる、というコーナーがあります。今回、私もその企画に呼び出され、ステージの上でフランス人の作家に混じっていきなり合同漫画を描かされました。通常、作家というのは絵を描いている自分の姿は人には見られたくないものだと思いますし、私自身もそう。ところがこのイベントでは巨大スクリーンに映し出される自分の、しかも下絵なしのアドリブの絵が大写しになり、それを千人近いコンサートホールのお客さんが眺めているわけです。とんでもない企画です。

 

それでもなんとか、齢50にして久々に緊張の冷や汗に塗れ、震える手でへんてこりんな絵を描きつつこのイベントもこなすことができました。夜は出版社の準備するバンケットで毎晩様々な作家や編集者たちとの交流がなされますが、何時間でも文化や芸術(だけではないですけども)の話で盛り上がりまくるそんな人々を見ながら、私はふと自分が高校生の時に傾倒していた20世紀初頭の芸術運動について思い出しました。ピカソもブラックもモディリアーニも藤田嗣治も皆、そういった芸術家同士の交流と触発を受けて後世に残る傑作を生み出した画家ですが、彼らと同様、私はこのアングレーム国際漫画祭に集う意気揚々としたBD作家たちをみながら、フランスの文化に対する飽くなき志と好奇心、そして妥協の無い積極的な生産性を実感させられた気がしたのでした。

 

先述したように、わたしは人が沢山集まる所が嫌いなので、今まで何となく参加するのを避けていたイベントではありましたが、漫画という視野を広げる意味でも、そして“締め切り”という資本主義的世界観とはかけ離れた意識で創作をしている作家たちのあり方を目のあたりにできた意味でも、訪れて良かったと心底から感じております。

 

(今回の我々のこのアングレーム滞在の様子は、春に放送予定の『アナザースカイ』(日本テレビ系)でもご覧頂けると思います)

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