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<この物語は、ある霊能力者をモチーフにして描かれたフィクションである。>

「…ウラミンマ…」

通夜の席で健作に尋ねられた大柄な叔母に違いないひときわ大きな声が宴席に響き渡る。

「あんたも聞いた…。気持ち悪いやろ、ウラミンマらしいで。あっちこっちで見た言うけん。ほうよ、子どもたちじゃて。…ウラミンマ言うんやけん、去年のことじゃろぅ。ほやけど、そんなこと言うても、去年一年で死んだ人言うたらだいぶおろ…」

合間に言葉をつなげているのは、姦しい叔母たちの中でもおとなしく人あたりの良い芳江おばさんに違いない。芳江おばさんの声は控えめで聞き取れないが、その分、敏子おばさんの声からおおよその筋はわかった。

話は、地元に広がる不気味な噂のようだ。噂の元こそ知れないが、あり得ない場所や時刻に、子どもたちの声や姿が何度も目撃されているらしい。

それは小さな田舎町のそこかしこで囁かれる噂話。日頃はその手の話を小馬鹿にしている男たちまでもが声を潜め、日暮れてからの外出を控えて夜間の寄合までもが滞るような、笑えない怪談話だった。

死者のためのお正月

「…なんだか疲れたわねぇ」

およそ一時間の精進落しも終わり家に戻った。叔母や叔父を乗せたバスが走り去るのを見送り、母が大きく息をついた。やはり緊張していたのだろう、溜息と同時に足元がふらつく。

「あっ、お義母さん大丈夫ですか」

すかさず、良子の夫の哲也が母の背中に腕を回す。

「ねぇ、お母さん『ウラミンマ』ってなに?」

「えっ、なに? お母さんは知りませんよ。そんなことより、哲也さんも健作さんもお疲れ様でした。さぁ入ってゆっくりして」

母は父を欠いた家族を従え、親戚一同の乗るバスを見送ると哲也と健作に一礼してさっさと家に入ってしまった。

「明美、おまえなに言ってるんだ。あっ、お義兄さん、お先にどうぞ」

唐突にわけのわからないことを言い出した妻を一瞥し、健作が義兄と義姉に先に上がるよう促している。

「アンタ、相変わらずね。健作さんも大変よね。明美は昔からこうだもの。こんなタイミングで聞いたって、お母さんがまともに答えてくれるわけないじゃない」

「ってことは、お姉ちゃんも聞いたんでしょ」

「そりゃ聞こえるわよ。聞きたくなくたって聞こえてくるでしょ」

二つしか歳の離れていない良子と明美は、大概こんなあけすけな口を利く。

「えっ、なに? なに言ってんの?」

「ほら、あれで聞こえてないのは、お母さんと美由紀ぐらいなものよ」

「ずる~い。良子姉ちゃんも明美姉ちゃんも、なにか隠してる。教えてよ」

「アンタはいいの。どうせなんにも知らないんだから。ま、明美も、後でお母さんに教えてもらうのね」

と、ちょっと小馬鹿にしたような笑顔を残して、良子が哲也の背中を押しながら廊下の奥に吸い込まれて行く。残された明美と健作を、母に手を引かれて上がったはずの亜里沙が、居間へと続く廊下の曲がり角に立ち止まり見つめている。

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「なに? どうしたの亜里沙。なにかあったの?」

「おじいちゃんが居るよ」

「えっ? パパがなにか言ったの?」

「わからないけど、さっきおばあちゃんの横に立ってた」

「本当? なにか言ったのね?」

「うん。『気をつけろ』って、ママに言ってくれって…」

「おいおい、おまえまさか…亜里沙も同じなのかよ。まいったな…本当かよ…」

明美と出会って以来何度となく否定し切れない事実を突きつけられてきた健作は、そんな二人のやり取りで娘の特異性に気づいたようだ。いや、とっくに覚悟していたのかもしれない。一瞬しおたれたかと思うとすぐに気を取り直して溜息をつきながら奥へと消えて行った。

亜里沙と二人、取り残された格好になった明美は、ただならぬ不安感と戦っているに違いない娘の肩を抱き、

「そう、ありがとう。今度は亜里沙が受け取ってくれたのね。大丈夫よ。おじいちゃんは亜里沙を守ってくれてるから。怖がらなくていいのよ」

と、精一杯励ました。それでもまだ強張ったままの亜里沙の手を引いてリビングへ入ると、さっきの続きなのだろう美由紀が良子に詰め寄っている。

「お母さん、良子姉ちゃんもなにかヘンよ」

「そうだお母さん、精進落しの席で敏子おばさんたちが話してたこと覚えてる?」

「…なに? 敏子さんたちがなにか言ってたの?」

「ほら。やっぱり聞いてなかったでしょ。あんた、説明しなさいよね」

良子は、このなんとしても解明したい謎の言葉が、すでに自分の範疇を離れて妹である明美の専門分野であろうことを予測しているようだ。

「…いいけど…。ねぇ、お母さん。『ウラミンマ』って知ってる?」

「…『ウラミンマ』? なにそれ? それがどうかしたの?」

とぼけているわけでない証拠に、母は構わずお茶の準備をしている。

「美由紀、お湯呑み出しなさい」

「え~、私ばっかり。お姉ちゃん出してよ」

こんな風に言われたからといって美由紀が動いたためしなど無く、結局は茶ダンスの近くに居た良子が湯呑みを人数分…七個テーブルに並べた。

「だから、私にもわからないのよ。でも、確かに敏子おばさんは『ウラミンマ』って言ったのよね。『ウラ』ってのが引っ掛かるのよ。…もしかしたら、本当は『ミンマ』って言うんじゃないかしら」

裏事情、裏社会…。世の中に裏の付く言葉は数々あるが、そのほとんどが実体の裏返しでしかない。一応の常識を持ち合わせた者として、明美はそう付け加えた。

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(写真提供:大本敬久氏)

「あっミンマなら知ってる。…ほら、あれよお母さん。…亡くなった人のお正月じゃなかったっけ?」

「美由紀が言ってるのは巳午でしょ。…そうね、確かその年に亡くなった人のお正月をお祝いする事をミンマって言ったわね」

「そうか、きっとそれよ!」

「お姉ちゃんたち、こっちに居ないから知らないのよ。ま、本当のところは私も知らないけど、確か去年、和江んちでやったって言ってたわ」

良子の夫、哲也は地元企業のサラリーマンで、営業をしている。しかし、この10年ほどは隣県の高松支社に勤務していて、一緒に暮らす良子も地元の事情にはとんと疎くなっている。代わりに美由紀はずっと地元に居たし、そんな美由紀の幼馴染の家では、昨年亡くなったおじいさんの巳午をやったらしい。

「お姉ちゃん、間違いないわ。敏子おばさんが言ってたのはこれよ」

「でも、おばさんたちが話してたのって巳午じゃなくて『ウラミンマ』よね」

「…そこが問題なのよ」

まだ半分でしかなかったが、それでも得られた情報に満足そうに振り返った明美の目に、亜里沙の異様に光る瞳が飛び込んできた。明美はテーブルを回って亜里沙のそばに行くと、何気ない素振りで肩に手を回す。すると、娘の身体が小刻みに震えているのがわかった。

子どもたちの影

「どうしたの? …少し寒いみたいね。さ、こっちにいらっしゃい」

明らかに様子のおかしい亜里沙に、尋常では無いものを感じた明美は、家族に気取られぬよう肩を抱いて部屋を出て行った。リビングのドアを後ろ手に閉めると、途端に目の前の廊下が闇に沈み込む。肩に回した明美の手の中で、亜里沙が小さく震えている。

「どうしたの? なにか怖いことでもあった? もしかして、またおじいちゃんが来た?」

亜里沙の震えは、今も抱き締めた明美の腕の中で続いている。

「…おじいちゃんじゃない。…可愛そうなの」

「おじいちゃんじゃない? じゃあ誰が可愛そうなの?」

「…わからない。…ちっちゃな子どもたちが泣いてたの」

「…そう。亜里沙は感じたのね。…大丈夫よ、もう平気」

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本当のことを言えば、明美にも亜里沙の怯えの原因は分からない。それでも、さっき肩を抱いた瞬間、娘の背後からズズッと何かが、音も無く抜け出したのは確かめていた。そのまま亜里沙と一緒に布団に入った明美は、この数日の疲れが出たのだろう、朝までぐっすりと眠ってしまった。

翌朝、母が台所で立ち働く気配に身体を起こした明美に、健作がまだ眠そうな眼をこすりながら声をかけてきた。健作は、目覚めた瞬間から機嫌の良いタイプだ。

「明美ぃ、夕べはどうしたんだよ? 突然居なくなっちゃうから…。お義姉さん、ちょっと怒ってたぞ。心配になって探しに来てみたら、二人して寝てるんだものな。勘弁してくれよ…」

どうやら亜里沙を寝かしつけながら眠ってしまった明美は、礼服はもちろん薄く施した化粧もそのままに寝入ってしまったらしい。

「いやだ、私…あのまま眠っちゃったんだ。…ごめん。なんだか亜里沙も疲れが出ちゃったみたいで、起こしておくのも可哀想だったし…。亜里沙が眠ったら戻ろうと思ってたんだけど…。ごめんね」

急ぎ洗面所で化粧を落としていると、やはり眠そうな顔をした良子が起きてきた。

「おはよう。…それにしてもアンタ、寝るなら寝るで言ってよね。アンタが妙なこと言い出すから、あれから美由紀につかまって大変だったわよ。で、どうなの? なにかわかった?」

「ううん。…べちゅに…」

「…なによ。なにかわかったら教えなさいよ」

まだ、何も…特に姉の良子を納得させられるような答えが見つからない以上、ここは黙っているほうが賢明だ。明美は、乱暴に突っ込んだ歯ブラシを動かすことで執拗な質問攻めから逃れた。

禍々しい噂話

「で、なにが聞きたいわけ? お葬式で大変だったアンタが、その翌日に電話してくるなんて、よっぽど気になることがあるんでしょ。…なによ? 言ってみなさいよ」

あれから母が作った朝食を前に、あれやこれやと昨夜の続きを非難がましく言い募る美由紀を適当にいなして部屋に戻った明美は、小学校からずっと一緒だった幼馴染の京子に電話をかけてみた。お通夜から告別式と、両日とも京子は同じく同級生の何人かと来てくれていたが、会場では当たり前の挨拶をした程度で他のことは何も話していない。昔から京子はスピーカーで有名だったし、地元に残って結婚した残留組でもあり、同級生のことや何かの事情通であるのは間違いない。

「『ウラミンマ』ね。…アンタ、巳午ぐらいは知ってるわよね。『ウラミンマ』は『裏巳午』よ。考えればわかるでしょ。で、それがどうしたの?」

やはり、ウラミンマは裏巳午だった。明美は、昨日、精進落しの席で耳にした話のあらましを京子に話してみた。

「ふ~ん。明美のおばさんが言ってたんだ…なるほどね」

「なにか知ってる?」

「なによ。なにか知ってると思うから電話してきたんでしょ。…そっか、明美はこっちに居なかったから知らないんだ。でも、噂ぐらい聞いたことあるでしょ?」

かつてクラスメイトたちから「スピーカー」と囃された京子が、こんな風に言い渋るのは大抵が収拾のつかない問題を口にするときだ。

「わかったわ。でも、あんまり言いたくないのよね。って言うより、口にしたくないのよ。だって、気持ち悪いんだもん…」

と言い訳がましい前置きをして口にしたのは、この一年ほど地元で囁かれている不気味な噂話だった。

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始まりは去年の暮。12月の最初の巳の日の朝の事…。噂は、その朝、農協裏の墓地に掃除に行ったおばあさんが裏巳午の痕跡を見付けたことに始まる。

12月の最初の巳の日に、その年亡くなった人の正月を祝うこの地方特有の行事は、本来ならばその日のお昼(正午とは午の刻を言う)に行われるのだが、早朝に痕跡を発見したということは、午の刻の真裏に当たる子の刻に儀式を行った証に他ない。加えて、本来の巳午ならば左綯いのはずの注連縄が右綯いと、その痕跡は巳午のしきたりにことごとく反していて、これはもう裏巳午に違いないと騒ぎになったらしい。そして、それから立て続けに不気味な目撃談が聞こえて来るようになったというのだ。

一方、怪奇な目撃談の多くは…。

誰も通るはずのない真夜中の山道を、たくさんの子どもたちがまるで遠足にでも行くように歩いていたとか、子どもたちの笑い声がどこからともなく聞こえて来るといった類の話だが、特にこの手の話が珍しいわけではない。ここまでなら、日本各地の至る所で、いつの時代もまことしやかに囁かれる怪談や幽霊話の一つに過ぎない。ところが京子の話は違っていた。それは、噂の元(目撃者)がはっきりしていることと、噂が広まった直後に必ずと言っていいほど不幸な事故が起きているという点だ。不幸な事故とは、目撃者の死を意味していた。

簡単に言えば、5000人ほどが暮らすこの小さな集落で、一年にも満たない間に9人の自殺者が出ているらしい。それも、昨年末に始まった裏巳午にまつわる噂話が広まるのと同時期に不気味な目撃談が広まり始め、この界隈で起きた不幸な事故には必ずこの不気味な目撃例がくっ付いていると言うのだ。

こんな小さな集落で、一年にも満たない間に9人もの自殺者が出ること自体が異常だ。加えて、そんな自殺に前後して不気味な目撃談が流れれば、自殺と噂を関連付けたくなるのも無理はなかった。

巳午

『巳午』を執筆するにあたり、多大なご助力をいただいたのが愛媛県歴史文化博物館の大本敬久氏(民俗学専門学芸員)だった。今回のコラムでは、大本氏ご本人の許可を得て、同氏のレポートの一部を抜粋させていただこうと思う。

<巳正月とは「仏の正月」ともいわれ、12月の巳の日に新亡者を出した家が新仏のために行う、正月行事に似た儀礼の事で、四国独特の民俗である。(中略)

一般的な内容は次の通りである。1、本来は12月に行われるが、忙しいからといって、11月に行うところもある。2、自宅に簡単な祭壇を設け、位牌を祀り、餅、注連縄飾り、菓子、果物などを供える。3、家族、親族が墓参りし、墓前に柿などの木枝を二本立て、注連縄を張り、餅、蜜柑や干柿などを供える。注連縄は正月とは逆綯いのものを使う。4、墓前にて、死者の身の近い者が餅を焼いて、それを後手に持ち、鎌で切るなどして、墓参者に配って食べる内容である。(後略)>(『死者の正月』民具マンスリー第44巻7号より)

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著者プロフィール

那知慧太(Keita Nachi)愛媛県松山市出身 1959年生まれ

フリーライターを経てアーティストの発掘・育成、及び音楽番組を企画・制作するなど、東京でのプロデュース活動を主とする。現在は愛媛県に在住しながら取材・執筆活動に勤しむ。『巳午』を処女作とする。

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