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<この物語は、ある霊能力者をモチーフにして描かれたフィクションである。>

地蔵菩薩を彷彿とさせる真っ白い靄は、谷川の流れを隠し、やがて傍らに佇む健作の姿も明美の視界から消して行く…。ひんやりと絡みつく山の冷気に、さきほどまでの大気の柔らかさを思い知らされた。肌寒くはあったが、それでも何かに清められていくような静けさに満ちている。

昨日までの、日に二~三人でしかないリーディングですら滓のように疲れを溜めていた明美を浄め、昂ぶった気持ちを静めてくれる清浄なパワーを感じる。谷川を伝い落ちてくる冷気は、穢れ無き霊峰を巡り巡って溢れ出した紛れも無き神気。これほどの神気ならば、明美を浄め充填するのは言うまでも無く、邪気など近づくことすら許さないに違いない。

「おい、明美。どうしたんだ? そろそろいいんじゃないか?」

所在無げに佇む健作に肩を揺すられるまで、明美は尾骨から頭頂までの七つのチャクラが浄われ満たされていく感覚に、呆けたように立ちすくんでいた。

「…そうね。ごめん、もう行こうっ」

同じように伝い歩く帰り道は、さっきまでの心細さではなく慈愛に満ちた確かな足取りへと変わっていた。

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「気」に「善い気」と「邪気」があるように、パワースポットにも良いスポットと悪い…足を踏み入れてはならないスポットがある。そして良いとされるパワースポットにも、日頃から明美は「浄化」「充填」「調整」「再生」の四種類があると言っている。ここは明らかに浄化と充填の強力なパワースポットだった。

「明美、さっきはどうしたんだ? なんだか、放心してるように見えたけど…。どうしたんだ? なにかあったのか?」

健作は、頼り無く震えるエンジン音に耳を傾け小さく頷くと、ブルッと車体を震わせながら道路へと乗り出し、来た道を引き返した。薄いヘッドライトの明かりに、『蛇の淵』の文字が一瞬浮かび上がり後方へと流れていく。

「なにか見つかったのか?」

ヘッドライトに照らされ、農家特有の前庭の広い田舎家が現れては消える。曲がりくねった川沿いの道を走りながら、健作が前を向いたままボソッと一言口にした。

思い出したように現れる街灯に、何事も無かったかのような優しい健作の無表情が時折照らし出される。あの川底の堤の上で「もう帰ろうか」と言った諦め口調とは違う優しい言葉遣いは、その後の明美の変化に何かを察したからに違いない。

「…思い込みかもしれないけれど…なんだかわかったような気がするの」

「そうか…。よかったな。後で、俺にもわかるように話してくれよな」

「うん」

決して煩わしくは無い。こうやって健作に尋ねられるのは、明美自身が考えを整理する上で極めて効果的な手段だった。ただ、今はまだどう説明していいものか、明美の中で様々な考えが交錯して混乱していた。

「ねぇ健作、もう少し調べてみたいの。悪いんだけど、明日も付き合ってくれる?」

「ん…? いいぜ。そのつもりで来たんだし…。そのかわり、わかったら最初に聞かせてくれよな」

「…当たり前じゃない」

それから二日間、二人は今にも道端に座り込んでしまいそうな父の愛車で集落を走り回った。

フィールドワーク

訪ねたのは、昨年末から続く不幸があったお宅と、知り得る限りの子ども霊の目撃現場。場所と目撃者の氏名は、あの夜家に戻ってから電話で京子に聞いていた。言うまでも無く全てでは無いが、今は京子以上に情報を持つ者は考えられない。それでも、訪ね歩いた場所は10数箇所に及び、4人の目撃者に話を聞くことができた。

最初に訪ねたのは、昨年末に自殺をした男性のお宅。男の名前は伊丹隆作・享年76歳。二人の息子はそれぞれ大阪と神戸で家族と共に暮らし、今年70歳になる妻と二人で三反ほどの田畑を耕しながらわずかな年金を頼りに暮していた。庭先に車を止めて声を掛けると、案外に元気そうな声が返ってきた。腰というよりは背の丸くなった老妻の話はこうだ。

それは、長年連れ添った老妻が幾ら思い巡らしても、夫に自殺をしなければならないような原因も動機も見当たらないということ。都会で仕事と家庭を持つ二人の息子が戻ってくるあてこそなかったが、その分、後は夫婦でのんびりと、二人が食べるだけの畑仕事でもしていれば何の不自由も無い。そんな二人を知る人は、「寂しいんじゃないか」とか「楽をさせてもらえ」などと田舎暮らしに付きものの差し出口こそ挟むが、二人にそんな気は全く無かった。だからこそ老女は、長年連れ添った女房を一人残して先立った夫の真意を量りかねていた。

ただ気がかりなのは、夫が自殺する少し前から「夜中に子どもたちが遊んでいる」とぼやいていたこと。そして、そんな繰り言を言う以外はめっきりと口数が減り、始終ボーッとして眠れなくなっていたらしいこと。しかし、そんな繰り言を聞かされていた老妻自身は、子どもたちの霊など見ていなかった。

そこから更に幾つかの現場を訪ね歩き、不幸のあった家も訊ねてみた。全ての家で話しが聞けたわけではないが、どこの家でも自殺の理由については首を捻るばかりだった。ただ、病院にこそ行かなかったが「頭が割れるように痛い」と言い出したり、ボーッとしていることが多かったようで、夜も眠れていなかったと、表現こそ違ったが皆一様に同じような証言を重ねた。

生死を分けたもの

「あれは去年の暮れだったかのぅ。組内の寄り合いから帰りよったら、そこらを子どもらが笑いながら走り回りよったわい」

と、すでに一杯ひっかけているのか赤ら顔の中年男が教えたのは、用水路が一段深く落ち込んだ幾つかの田んぼを別ける細い畦道だった。農作業用の軽トラに排気ガスを引き込んで自殺した、まだ56歳と若い男の家を尋ねたその帰り道で出会った目撃者は、同じく別の場所でだが目撃したというもう一人の男と共にその夜のことを語った。

男が言うには、子どもたちの霊を目撃したのは大きな溜池が三つ並んだ里山へと続く刈り入れ後の田んぼだった。辺りに人家は無く、季節外れの田んぼは寒々としていて、とても子どもが遊ぶ場所とは思えない。男が言うには、そんな風にあり得ない場所や時刻に見知らぬ子どもたちの姿や声を聞いた者は、知っているだけでも10人は下らないらしい。

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「次はどこへ行けばいいんだ?」

「もういいわ。取りあえず終わりにしよっ」

昨年末の首吊り自殺から春先の西村のおじさんまで、全てではないがそれでも忌み事のあった六軒の家を回った。お線香を上げさせていただいたお宅もあれば、外から様子をうかがっただけの家もある。後は、そんな不幸な事故にあった方が、謎の子どもたちを目撃したとされる場所にも行ってはみたが特に変わりはなかった。健作こそ驚いたり喜んだりしていたが、明美の目には何の変哲も無い田舎の景色でしかない。それでも、子どもたちの霊を目撃して以来ずっと明美を悩ませているわだかまりを解く糸口は見つけたような気がした。

自殺とされている家が五軒。うち一軒は排気ガスでの中毒死だったが、残りは皆首を吊っている。場所は、裏庭だったり家の近くのみかん畑だったりと様々。

確かに、謎の子どもを目撃したり声を聞いたという噂こそ残っていたが、それと同時に、長患いに悩まされていたり借金に喘いでいたりと、自殺するに至る事情もあったり無かったりだ。考えてみれば、どこの家にも、無いとは言いつつ起きてしまえば、それなりの事情が引き合いに出せる。自殺の理由がわからないと首を捻っていた伊丹の爺さんにしても、「老いを儚み」とか「跡継ぎが居ない」などと、理由付けならいかようにも出来た。

そうして自死は、残された者を責め苛む。

注目すべきは、自殺した5人が皆、怪奇現象を目撃したと言いだしてから二週間以内に亡くなっているということと、5人の他にも、不幸な事故には至らなかった目撃例と目撃者がたくさん居るらしいことだった。それは、度重なる不幸な事故と怪奇現象が直結はしていないかもしれないということであり、また2週間を過ぎて無事ならば大過は無いということだ。それはそのまま、明美と亜里沙の安全を担保する喜ばしい事実に他ない。引っ掛かるのは、当初考えても無かった「頭痛」「不眠」「倦怠感」などの症状が、話を聞いた犠牲者に共通していることだった。

加えてもう一つ。不確かながらも、どうやら自殺した中の何人かが、未遂ではあったが「自殺衝動」を思わせるアクシデントを繰り返していたらしいこと…。

地蔵菩薩

「さてと、…そろそろ話してもらえるのかな?」

夕食を済まして部屋に戻ってきた健作の手には、やはり書斎のキャビネットから拝借してきたに違いないボトルが握られている。健作は、父の残したウィスキーにすっかり味を占めたらしく、ここのところ夜は当たり前のようにグラスを傾けていた。

「うん。今夜は少し真剣に話したいと思っていたところなの。…ねぇ、この数日間で健作が気に留めたことってなに?」

「そうだな…。まず、おまえと亜里沙が子どもたちを見たって言う場所。残念ながら、俺にはただの谷川にしか見えなかったけど、やっぱりあそこにはなにかあったんだろ。それと、昨日今日と動いてみて、あの妙な噂の目撃者が想像以上にたくさん居るらしいってことぐらいかな。後は、不謹慎だけど、みなさん大きな家に住んでるな…ってな感じ」

どこの地方にも、その県人気質をあげつらう譬え言葉があるが、愛媛県人のそれは「伊予の建て倒れ」。たしかに、まるでお城のように屋根瓦のそっくり返った豪壮な屋敷がやたらと目に付く。利便性の高さこそが正義とされる東京に生まれ育った健作の目には、そんな華美な建築様式が奇異に映るようだ。

余談はさておき、この二日間、ずっと明美のそばで不気味な事件の顛末を見聞きしていた健作にとっても、目撃者が全て不幸に見舞われているわけではないという矛盾を孕んだ事実こそが最も重要だった。なぜなら、その事実こそが、亜里沙の無事を保証してくれているからだ。

そして、この不気味な噂話が孕んでいる矛盾点にこそ真実が隠されているに違いないと明美は確信していた。

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「じゃぁ、私が感じたことを話すね。まず最初に、私と亜里沙が子どもたちの霊を目撃した『蛇の淵』は、当初思っていたような危険な場所じゃなかったわ。危険どころか、紛れも無い浄化と充填のパワースポットだったし、そのパワーは聖域と言ってもいいくらい強力なの。健作も見てわかったように、正直私はあそこで癒されたわ。そして、もう一つは…、目撃者全員が不幸に見舞われているわけじゃないってこと。これが重要…」

そこまで一気に話すと、明美は健作の手からグラスを取るとウィスキーを少し口に含み大きく一つ息を漏らした。

「私が思うに、数々の目撃例がある子ども霊は、噂されているような邪霊では無い気がするのよね。なぜなら、目撃者が全員不幸に見舞われているわけじゃないし、現に私も亜里沙もいたって健康よね。それに、もしもあの子どもたちが邪悪な霊だとしたら、あの淵に入ったりはできないもの。でなきゃ、あそこに入った途端に消滅しちゃうわ。…だとしたら、…もしかすると、あの子たちはなにかから逃げてたんじゃないかしら…」

「また随分飛躍するな。逃げてたってことは、追っていた何者かがいるってことだぜ」

「そうなの。そこがまだわからないのよ。でも、仮にそうだとしたら、なんとなくだけれど納得できるのよね。あの日谷川で感じた、私自身が浄化され庇護されるような感覚が…」

気高き山々から滲み出した神気と、穢れなき淵を守るかのように生い茂った木々が創り出すシルエット。それは、迷い多き衆生を助け導くために現世に力を及ぼすとされるクシティ・ガルバ。か弱き魂を庇護し導くとされる童の姿をした地蔵菩薩だった。

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たしかに明美は、あの夕闇迫る川辺に、なお一層の暗がりを成す谷あいの空に菩薩を感じた。そして、やがて山から神気が押し出してくると、谷あいに見た虚ろなシルエットはまざまざと形を成して迫り来て、溢れんばかりの慈愛で明美の総身を包み込んだのだ。

パワースポット

先ごろ、本誌『女性自身』で行った『新四国お遍路紀行』において、真印さんは四国における88カ所のパワースポットを紹介した。そんな彼女の元には「良いパワースポットを教えて欲しい」と言うリクエストが後を絶たない。真印さんによれば、パワースポットには幾つかの種類がある。それは『浄化』『充填』『調整』『再生』『覚醒』だが、他にもこれらの効能が複合的に備わっている場所があるという。そして、もう一つ……人間がおいそれと近付いてはいけないスポット、負のパワーを有する場所もあるという。「このような場所も、メディアによっては同じように〝パワースポット〟と紹介されていることもあるのが厄介な点」と真印さん。その場所の持つ力の正負はもちろん、効果・効能を見極めるのも困難だが、真印さん曰く「要は、先入観を持たず、素直に、あなたが心から〝気持ちの良いと感じる場所〟を探すことがパワースポットの正しい見極め方」という。

SILVA真印オフィシャルサイト