長崎県佐世保市にある大型リゾート施設「ハウステンボス」。この夏、来場者の注目を集めているのが「ハウステンボス歌劇団」だ。’13年7月設立。団員37人(8月現在)のほとんどはオーディションによる選抜。さらに、今年5月には歌劇女優を養成するハウステンボス歌劇学院も開校した。

 

この夏の新作公演で、白い鳥を演じながら、諦めない強い意志をダンスで表現するのは、娘役トップの雪菜つぐみさん(34)だ。クオーターの目鼻のくっきりとした顔立ちは舞台映えし、常設劇場で観劇する少女らをくぎ付けにする。ステージと観客席の一体感や、子供と男性客が多く、アットホームな雰囲気もここの特徴だ。どうしても比べたくなるが、兵庫にある宝塚歌劇団とはまた違う持ち味の一つ。つぐみさんは宝塚歌劇団の出身だ。

 

「ここにいるのは、ほとんどが“歌劇を知らない人たち”です。そして数人の宝塚出身者が、若いコたちを一から育て上げていく。これは不可能を可能にするという“挑戦”です。今の私なら胸を張って言えます」

 

彼女はかつて心に傷を負い、胸を張れない自分がいた。彼女は宝塚で“三世代娘役”という稀有な家庭環境に育ち、その重圧の下、ずっと「自分は認められていない」ともがいてきた。

 

祖母の泉エリザさん(88)は’38年入学の27期生だった。が、終戦とほぼ同時に退団。20歳でポルトガル国籍のヨゼフさん(故人)と結ばれ、3男1女をもうけた。29歳のとき、宝塚市内で泉バレエ教室を開く。1人娘で、つぐみさんの伯母となる西口マリアさん(67)は、当然のごとくここで学び、’65年に51期生として宝塚に入団。マリアさんのすぐ下の弟・フランシスコさん(65)が、つぐみさんの父だ。つぐみさんがバレエを始めたのは幼稚園のころ。母親・智子さんは言う。

 

「つぐみにとって祖母は、おばあちゃんの前にバレエの大先生という怖い存在。甘えたことはなかったと思います」

 

高校を出たらバレリーナになるつもりだったつぐみさんが中2のとき、「宝塚、受けない?」と言った母。誘われて見た歌劇で天海祐希を見て、気持ちは一転する。競争率40倍の超難関を突破。当時の組配属決定を告げる新聞記事には〈月組にポルトガル系美人娘役〉〈祖母も伯母も宝塚OGのタカラヅカ一家〉などの文字が……。

 

「香盤表が出るたびに、役がついているだろうかとドキドキして。三代目として期待されているのに、結果が出せていないんじゃないかって。祖母が客席にいると気合が入りましたね。母は相変わらずダメ出しが多くて、いつになったら認めてくれるの?と思ってました」

 

つぐみさんが宝塚を去る決心をしたのは、入団から4年目だった。母や祖母の目には、宝塚で生き生きと羽ばたいているように見えていた。しかし、先代の築いた歴史を断ち切ってでも、すぐに宝塚を去らねばならなかった。それほど追い詰められていた。

 

「バレエはもともとウチにあった祖母の世界だし、宝塚受験も母に勧められてのこと。そうやって与えられて人生を歩んできたことが、怖くなったんです。与えられた人生だと、うまくいかないときに、与えてくれた人のせいにしてしまう自分がいました。まず、与えられた環境から飛び出して、1度ゼロにしてみようと」

 

21歳で上京。アルバイトをしながら、宝塚OG公演などに出演していたが、思うような役はこない。上京から6年後、あるダンス公演で振付師の中村信幸さんと出会った。「魂で踊れ!限界を感じるまで踊れ!そこで出てくる踊りがいちばんいいんだ」という言葉に衝撃を受けた。

 

「踊りまくるなんて舞台は経験がないんですが、自分の世界が広がる直感がして、絶対にクリアしてやろう、そう思ったんです」

 

ここで認められ、’08年には『平成版!花魁道中in六本木』で主役に抜擢される。

 

「孤独のなかをずっと走っていた私が、中村先生によって認められた。そんな愛情を受けるのは初めてで、宝塚とは違う世界を知ったことで、目指す踊りを再確認し、成長もできたと思うんです」

 

話しながら、涙するつぐみさんだった。すべての重圧から開放された彼女には、新しいステージが用意されていた。遠い長崎のハウステンボス歌劇団からの誘い。今度は悲願だった娘役トップとしての待遇だった。

 

「ワン・アンド・ツー・アンド……。軸足を意識して!指先まで見つめて!」

 

開校して3カ月のハウステンボス歌劇団の稽古場を訪ねると、手拍子しながらよく通る声で1期生にバレエの指導をするつぐみさんがいた。ラフなシャツとパンツ姿で、汗も流れるまま。ステージとはまた違う気迫にあふれていた。

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