神山町は、徳島市内から車で40分ほど。鮎喰川に沿って集落が点在する山間の町だ。’55年、5つの町が合併してできた町の人口は6千人弱。かつては林業が盛んだったが、今では高齢化率が5割に近い典型的な過疎の町だ。ところがここ数年、この寂れゆく町が突然、脚光を浴びはじめた。

 

ITやデザイン、映像系などのベンチャー企業が相次いで移転している。サテライト(支店)を置く都会の企業も増えた。徳島県は、県内全域に光回線を設備。全県で高速通信網が利用できるのは、ITベンチャーにとっては魅力だ。なら、なぜ神山だけが脚光を浴びるのか?現在の活況の基盤を作ったNPO法人のグリーンバレー理事長・大南信也氏(61)は言う。

 

「行政の人からは『神山のような町おこしを全国で展開するにはどうしたら?』と、よく聞かれるんだけどね。結局のところ、人。それに尽きるんですよ」

 

町にある食堂「梅星茶屋」の営業は、金曜のランチのみ。1日限定30食の500円定食は、毎週午前11時には売り切れる。

 

「あ〜、ホンマごめんなさい。今日な、遠方の薄〜い親戚やけどな、7つも注文入れられて。料理がなくなってしもたんよ。ごめんなさいね〜。そしたらな、ちょっと待って。今、おわびに大判焼き、持たすけん」。言うなり、店の奥に駆け込んだのは、粟飯原國子さん(71)。「お父ちゃん、大判焼きな、2パック、大至急」。奥で大判焼きを焼く夫・康史さん(73)を大声で呼び、大判焼きが6個も入ったパックを持って、帰ろうとする2人連れを追いかける。

 

この「梅星茶屋」を採算度外視で切り盛りする國子さんにこそ、神山町復活の秘密があるという。グリーンバレーは「日本の田舎をステキに変える!」をコンセプトに、居住者支援や空き家の再生、アーティスト招聘など、多岐にわたって活動してきた。プロジェクトの一部の運営に携わったけどういん弘智さん(リレイション社長)は言う。

 

「海外のアーティストを受け入れる、都会の若者をホームステイさせるなどの企画が動きだし、『ほな、誰がすんの?』となったとき、真っ先に『私がやっちゃるわ』と手をあげるんが國子さん。田舎町なんで、町の人みんなが、最初から今みたいによそ者を受け入れられたわけではないと思うんです。でも國子さんがまず自分で引き受けてくれて、ポジティブ思考やから、ちょっとやそっと大変なことでも楽しそうにするでしょ。それで町の人も関心を示してくれたことが大きいと思います」

 

’10年、國子さんはグリーンバレー主催の求職者支援訓練「神山塾」に入塾。想定では若い人、それも町外の人だった。グリーンバレーの大南理事長は愉快そうに振り返る。

 

「まぁ、面白いんとちがうと思ってな。僕らが対応できんことを、地元のおばちゃんとして対応してもらえるかもと思って。國ちゃんやったら間違いなくよそから来る人たちを町の人たちとつないでくれる。入塾した若い子を『1人、泊めてやって』って、國ちゃんが言ったら、町の人も『しゃ〜ないな』となるしな」

 

神山塾の記念すべき1期生は13人。下は23歳から上は68歳の國子さんまで、バリエーション豊かな面子がそろった。「71年の人生の中で、いちばんリッチな半年間やった。人間には、若い人から年寄りまでおるっちゅうことを、私はいちばんに学んだよ」と國子さん。彼女の参加で、1期生は地方創世に欠かせない、地域と世代を超えた交流が生まれていた。

 

國子さんの夢は「梅星茶屋」で老人サロンを開くこと。ならば、「梅星茶屋」の営業を1日増やしたら?と、提案してみたら……。

 

「私もごっつ忙しいやろ。畑もせんならん、趣味も三味線に太鼓に俳画に書道と8つくらいやっとる。時間がまるで足りんのよ。ほやから食堂はな、最初から週にいっぺんだけにしとる。体がつぶれたらしまいじゃけん。なんでも八分でやめとかな。八分だったら屏風も立っとる。全部広げてみ。パタッと倒れるで。八分で満足できるっちゅうのが、笑える人生送るコツかもしれんよ」

 

豊かな人間関係が笑顔を生み、人を、町を活性化させ、経済を回す。円より縁。

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